エジソンが蓄音機を発明してからほどなくして、世界中のさまざまな音楽が録音されていきました。日本も例外ではなく、1903年2月にグラモフォンのフレッド・ガイスバーグによって275枚もの78回転シュラック盤が録音されました。日本初、東洋初の商業録音です。

 この作品はその時の録音を含む1912年までの音源を集めた編集盤です。このうちのいくつかはプロデューサーのロバート・ミリスがシアトルのジャンク市で見つけたそうで、貴重な文化遺産がひどい扱いを受けているとずいぶん憤慨しています。

 憤慨と言えば、ガイスバーグの日記を始め、当時、こうした録音を聴いた西洋人たちの未開の音発言の方がひどいです。「日本の音楽は一言で言ってひどすぎる」、「でもすこしは好きになりかけてきた」、文明の中心に届いた未開の野蛮な種族の音楽!

 異文化に否定的な野蛮なキリスト教ヨーロッパ人の戯言は横においておきましょう。実際、こんなプロジェクトを企画してくれるミリスのような理解のある人もいるわけですし、20世紀初めよりも21世紀の方がずっと受容力もあがっているでしょうから。

 アルバムはシュラック盤を集めたものですから、ずーっとノイズが入っています。その向こうに聴こえるサウンドを愛でることになるのですが、これがなかなか乙なものです。明治から大正初期にかけての日本の大衆芸能らしさがノイズでいや増しに増します。

 大衆芸能と書きましたが、この作品には東儀季長をリーダーとする雅楽も2曲収録されています。こちらは宮中に秘められてきた芸術音楽ですから、当時の日本の大衆のほとんどは聴いたことがなかったはずです。そもそも今でも変わらない雅楽です。

 雅楽以外の大衆芸能は当時を網羅しているかのようです。帝国ホテルにスタジオを仕立て、そこにこんな人々を呼んで録音したというのは大変面白いです。現場を見てみたかった。録音しているということを理解していない人が大半だったそうですし。

 収められているのは、義太夫節、長唄、芸者遊び、法界節、謡曲、落語、浄瑠璃などです。何故に落語が入っているのかと思いますが、ここは柳家小さんの「浮世風呂」で、確かにかなりの部分で小さんが歌っています。

 義太夫や謡曲、長唄などは現在も地続きですし、特にこの時代だからといって大きく変わるわけではありません。聴きなれた感じになってしまいます。その意味で興味を引くのは芸者遊び、新橋の須磨子姐さんの「かっぽれ」と吉原の〆治による「猫じゃ」の2曲です。

 これも聴きなれないわけではありませんが、いかにも大衆芸能っぽくて素敵です。特に「猫じゃ」なんて旦那方が転がされている様子が目に浮かんで楽しいです。そして瞽女たちによる法界節と追分節、竹琴と三味線の合奏などが耳を奪いました。

 日本初の録音という歴史的価値に惹かれて買ってしまいましたが、この後、まもなく日本には雨後の筍のようにレコード会社が乱立して、録音文化が花開きますから、内容的にはさほど珍しくもありませんでした。日本の大衆芸能は西洋の上から目線で語られても困ります。
 
Sound Storing Machine / Various Artists (2021 Sublime Frequencies)