夫婦漫才に夫婦デュオ。どこか特別な響きがあります。普通の漫才や音楽グループとは違って、二人の愛の物語を共有することが前提とされてしまいますから、他人の家にお邪魔した感じがしてしまいます。男女のペアであっても夫婦でなければそうでもない。

 ヒデとロザンナ、チェリッシュ、ダ・カーポなど日本の歌謡界にも夫婦デュオはありましたから、キャプテン&テニールが登場した時には、洋邦の区別よりも、夫婦デュオというカテゴリーの方が強く、そうしたデュオと同じように眺めていたことを思い出します。

 本作品はキャプテン&テニールのデビュー作にして大ヒット作品です。この時、厳密にいえば二人は夫婦ではありませんでしたけれども、扱いは夫婦だったと記憶しています。微笑ましいカップルということで日本の聴衆も大変暖かく接していました。

 しかし、夫婦の物語なんて所詮は他人事です。聞いたところでどうしようもありません。さらにこのカップルの場合、前史もありますし、後には離婚もするわけで、ゴシップ的にとらえても興味深いかもしれませんが、詮無いといえば詮無いです。

 それよりも彼らのサウンドを紐解く時には、ビーチボーイズとの係わりを軸に考えた方が良いと思います。それほどこのカップルとビーチボーイズのかかわりは深いです。ビーチボーイズ一派と呼んでも誰も文句を言わないのではないでしょうか。

 キャプテンことダリル・ドラゴンは1967年から72年にかけてビーチボーイズのツアー・メンバーでしたし、スタジオでもシンセ奏者として参加しています。そもそもキャプテンとあだ名をつけたのはビーチボーイズのマイク・ラヴだといいます。

 キャプテンは、脱サラしてロック・ミュージカルを手掛けて成功させたトニー・テニールの才能にほれ込みます。一緒に仕事することを申し込むと、まずは彼女をビーチボーイズに紹介します。彼女は史上唯一のビーチガールとして彼らのツアーにピアニストとして参加しています。

 その後、キーボード・デュオとして活動することになった二人は、「君こそすべて」を自主制作するとこれが評判を呼び、A&Mから本作品でデビューすることになりました。先行シングルはニール・セダカのカバー「愛ある限り」でした。

 これが全米1位の大ヒットになると、アルバムも全米2位の大ヒットを記録します。万事順調なスタートですが、ビーチボーイズとの前歴を考えれば満を持してのデビューとも言えます。「愛ある限り」はグラミー賞の再優秀レコード賞まで獲得しています。

 本作品ではビーチボーイズの曲を3曲もカバーしている他、後にバリー・マニロウが大ヒットさせる「アイ・ライト・ア・ソング」をブルース・ジョンストンから提供されています。演奏で手伝ってもらったわけではありませんが、全体のトーンはビーチボーイズ的です。

 特にキャプテンのクラビネットやシンセサイザーは目を引きます。この当時はかなり斬新に思ったものです。夫婦デュオの微笑ましいポップスと甘く見るなどとんでもないことです。上質なポップスの背後に音楽的な冒険を施すというビーチボーイズ直系の魂を感じます。

Love Will Keep Us Together / Captain & Tennille (1975 A&M)