日本のフォークと言えば、かぐや姫の「神田川」やよしだたくろうの「旅の宿」などに代表される若者の生活に密着した叙情豊かな歌をまず思い浮かべます。後にニュー・ミュージックと呼ばれることとなる路線です。アコギ片手に愛や恋を歌うというのが典型的なフォーク像です。

 しかし、フォークにはもともとプロテスト・ソングとしての側面があることはボブ・ディランをみるまでもなく分かることです。日本のフォークにも社会派は当然存在します。むしろそこから出発したといってもよいでしょう。私の一世代前の出来事です。

 その代表格は高石ともやです。「受験生ブルース」のイメージが強いですが、彼は勤労者音楽協議会、通称労音のフォーク・ソング愛好会でデビューした筋金入りの社会派です。岡林信康はその高石ともやに感銘を受けてフォークの道に入った人です。

 岡林は、「牧師の息子で、部落解放同盟教宣部という肩書をもち、東京・山谷のドヤ街の飯も食ったことがあるという変わった経歴の持主である」と紹介されます。その山谷の経験を題材にした「山谷ブルース」が岡林のデビュー曲にして代表曲です。

 当初は「ほんじゃまあおじゃまします」という曲でデビューするはずでしたが、政治家を茶化し過ぎだとクレームがついてお蔵入りしてしまいます。その後、B面に収録されるはずだった「山谷ブルース」がA面に昇格してデビューとなるという箔のつく出来事がありました。

 時は1969年、まだまだ政治が身近な時代でした。終戦からまだ四半世紀しか経っていません。岡林も「労音や反戦集会、学校など各地の舞台をめぐり歩いて」いました。そういうプラットフォームがあったということです。

 本作品は1969年に発表された岡林のファースト・アルバムです。もちろん名曲「山谷ブルース」を含んでおり、日本のフォーク史を語る上でかかせない名盤です。アコギ片手に意外にも綺麗な歌声で切々と歌い上げる岡林の歌が堪能できます。

 見開きジャケットの内側には歌詞が印刷されており、それぞれに岡林自身による解説が添えられています。たとえば、「お父帰れや」は「繁栄日本の象徴として行われる万国博、その工事に従事する多数の出稼ぎ労務者」の犠牲を歌った歌だという具合です。

 部落問題研究所の「わたしゃそれでも生きてきた」にある中島一子さんの遺書から作詞したという「手紙」、「一部の自称左翼的組合活動家を通して、自分自身に対する警告として」作ったという「それで自由になったのかい」、ボブ・ディランの「戦争の親玉」。

 そして「僕に新しいイエスを発見させた 山谷」を歌った「山谷ブルース」。私の世代はこういう姿勢を時代遅れのものだとしていた世代です。しかし、半世紀を経て、こうした歌のリアリティーが重く迫ってきます。この時の戦いはけしてまだ終わっていないのでしょう。

 岡林はこの後身近な題材を歌うようになり、さらにロックに転向、そして日本土着のリズムを発信するようになります。その自在な活動は「フォークの神様」ならではです。フォークというよりブルースといった方がぴんとくる岡林のデビュー作は今も輝いています。

Watashi Wo Danzai Seyo / Nobuyasu Okabayashi (1969 URC)