「このレコードには、まったくなんの思いもない」とマイルス・デイヴィスが自伝で語っているアルバム「クワイエット・ナイト」です。無断で発売されたとして、マイルスはプロデューサーのテオ・マセロと長い間口をきかない険悪な関係になってしまいました。

 ここまで言われると、言うほど悪くないですよ、と言いたくなるのが人情です。実際、この作品はなかなか面白いです。何といってもギル・エヴァンス・オーケストラと組んで当時流行の兆しをみせていたボサノヴァに挑戦したアルバムなんですから。

 スタン・ゲッツがアントニオ・カルロス・ジョビンの曲「デサフィナ―ド」でボサノヴァ・ブームに火をつけたのが1962年6月のことです。そのことがもともと南米音楽好きだったギル・エヴァンスを燃え立たせました。本作品のセッションは早くも7月に行われています。

 ギルの見事なアレンジによって演奏されたのが「アオス・ペス・ダ・クルス」と「コルコヴァード」の2曲です。後者はジョビンの曲ですから真正ボサノヴァです。ギルとマイルスのコンビですからさすがにボサノヴァの風を感じさせてくれます。

 しかし、7月のセッションはここまで。11月にふたたびセッションが行われて追加されたのが南米のフォルクローレに影響を受けたという2曲の「ソング」、アメリカのスタンダード「ウェイト・ティル・ユー・シー・ハー」、フランスの曲「ワンス・アポン・ア・サマータイム」です。

 ここまでで20分強ですからアルバムにならない。そこでテオは発売順では先になる「セヴン・ステップ・トゥ・ヘヴン」のセッションから1曲もってきて30分弱のアルバムに仕立てました。これはコンボの作品です。いかにも寄せ集め、マイルスも嫌うはずです。

 さらにCD化に際しては翌年10月のギルとのセッションから12分の大曲「タイム・オブ・バラクーダ」が入り、ついでに手元バージョンにはクリスマス・レコードを作るためのセッションから2曲が追加されました。こちらもギルのアレンジですが「最悪のレコーディングだった」と。

 「ボブ・ドローという馬鹿げたヴォーカリスト」が入っていてなかなかノヴェルティとして面白いのですが、悩ましいことにこれはウェイン・ショーターとマイルスの初録音です。貴重ですよね。マイルスの歴史は起伏に富んでいてとても面白いです。

 さて、本作品ですが、魅惑のトランペット・ムードとしては大そう面白いです。60年代から70年代にかけてさほど有名でない奏者によるトランペットやサックスが歌声に代わるムード歌謡的な作品が数多く作られましたが、それの上級版という感じです。

 これほど気楽に聴けるマイルスも珍しいです。それにギルのアレンジなのでさすがに細部にわたって丁寧な仕上げですから、決して駄作などではありません。マイルスがこういう方向に進んでいけば、お茶の間のマイルスになっていたでしょうね。

 せめてアルバム一枚くらいボサノヴァで通してほしかったですが、それを言っても詮無いことです。クリスマス・セッションとともにこれもまたマイルスの冒険の一つだと解釈しておきましょう。お気楽なアルバムとして私は嫌いではありません。

参照:「マイルス・デイヴィス自伝」中山康樹訳(シンコー・ミュージック)

Quiet Nights / Miles Davis (1963 Columbia)