「かつてこれほど美しく-破壊的な音楽を-奏でるアーティストがいただろうか。」アンナ・アルディのソロ・デビュー決定を告知するフライアーに添えられた一節です。サラマンダー?イモリ?を首筋に這わせたこの女性こそが、「謎多き美貌のピアニスト」アンナ・アルディです。
 
 アンナは日本のプログレ界を席巻したバンド、ミズキ・ダ・ファンタジアのピアニストでした。バンドの中心となっていたミズキがソロ活動に移行したことでバンドが無期限活動休止状態に陥ると、間髪をいれずにアンナもソロ曲の制作をスタートさせました。

 しかし、頃悪しくもコロナ禍にぶつかってしまい、レコーディングは中断を余儀なくされ、結局1年半もの長い時間がかかってしまっています。とはいえ、勢いで推すサウンドではありませんから、災い転じて福となり、「楽曲はグンと研ぎ澄まされた」と思います。

 さて、アンナはどういう人かというと3歳からピアノを始め、音大を卒業するとウィーンにわたって民族音楽などを学んだ人です。音楽事務所にスカウトされて2016年からプログレ・バンド、ミズキ・ダ・ファンタジアに参加したものの、本人にロックの人という自覚はなさそうです。

 プロデュースにあたった九尾一郎は、彼女のことを「現代音楽の作曲家であり、ピアニストであり編曲家でもある」としています。そして「常にアヴァンギャルドな思考が渦を巻いている」ためにロックとの融合が果たせたのだと総括しています。

 裏ジャケットなどはグランド・ピアノ越しにポーズをとる典型的なクラシック・ピアニストのポートレイトとなっており、その出自を強調しています。実際、このアルバムにはモーツァルトの「レクイエム」から「涙の日」、シベリウスの「5つの小品」から「樅の木」が収録されています。

 ロックに寄り添うのではなく、正面からピアノで弾いたこの2曲がまるで違和感なく他のロック仕様の楽曲と同居するのがこのアルバムの最大の特徴です。さらにはⅠとⅡに別れている「月の呪文」は全編がクラシック・オルガンで演奏されています。

 その他の楽曲は本寸法のプログレ仕様です。クラシックとロックのフォーマットが自然に融合し、メロトロンやシンセサイザーとハープシコードなどが同じ地平で共存しています。ドラマチックな展開や立原道造の詩を読みながら聴く工夫まで、プログレ魂全開です。

 明確なテーマはないかもしれませんが、蜘蛛、サラマンダー、蜂の一種ツチスガリ、イモリやサンショウウオ、アホロートルなどの生物のイメージがふんだんに出てきます。「蚊を一匹ずつ天国送るというオーケストラ曲を作曲した経歴を持つ」アンナの趣味でしょうか。

 一押しは「ネオテニーの囁き」ですけれども、久しぶりに正面から正々堂々とプログレに取り組んだサウンドを聴いて清々しい気持ちになりました。アネクドテンら世界のプログレ・バンドと「プログ・フェスト」を行ったのも頷けます。かっこいいバンドです。

 なお、本作品で曲の多くを作曲しているほか、メロトロンやシンセなどでサウンドに大いに貢献している九尾一郎は、どうやらプログレ専門誌といってよいストレンジ・デイズの岩本晃市郎の別名のようですね。そうなるとあらゆることに合点がいきます。

Lunatic Spells / Anna Hardy (2020 Nouverne)