1978年10月に発表された「千のナイフ」はその後大きな足跡を残す坂本龍一の最初のソロ・アルバムです。1978年4月10日から7月20日までコロンビアの減価償却が終わったスタジオで339時間にわたってレコーディングされたという恐ろしいアルバムです。

 当時、坂本龍一は「それまでの2年間をスタジオ・ミュージシャンとしての仕事に忙殺され続けて、精神的に非常に消耗していた時期」にあり、その中で「自分自身の音楽をちゃんと作ろうという思いが強くなって」、本作品の制作が行われることになりました。

 手元のCDはもちろん再発盤で、そこに同報されている当時のコロムビア・レコードの担当ディレクターの斎藤有弘氏が書かれた経緯がとても面白いです。当時、無名の若者にスタジオを占有させ、しかも内容に全く口を出さないという大らかさが眩しいです。

 それが報われたのかと言えば、何と初回プレス枚数は400枚で、それもすぐに200枚が返品され、結局200枚しか売れなかったとのことです。自主制作でももう少し売れていたでしょうに。結果はレーベルとの専属契約も見送らざるを得ない惨敗でした。

 しかし、その後の坂本教授の活躍はご案内の通り。本作品もYMOが世の中を席巻するようになると大量の注文が入るようになり、その後も何度も再発される人気盤となっていきます。結局は報われたのでしょうが、サラリーマンとしてはちょっと遅かったですね。

 斎藤氏の語る通り、本作品は「26歳の若き坂本龍一が、その時点でのさまざまな音楽的経験を踏まえたうえで、実験的な精神とともに新たな展開に踏み出そうとする、一種のデッサンであり習作的な作品」です。当時付けられたジャンル名は「ロック/シンセサイザー」でした。

 少数ながらゲストも参加しており、細野晴臣や山下達郎などスタジオに見学に来てそのまま参加した人や、坂本とのデュオでピアノを弾く高橋悠治や仕上げにギターを弾いた渡辺香津美まで、教授が当時の音楽シーンですでに重きをなしていたことが分かります。

 本作品に耳を傾けていると、200枚しか売れなかったことがまるで嘘のようです。この後大いに人気を博していく坂本サウンドの原型がすでに表れていて耳に馴染みます。その後の坂本の活躍がこうしたサウンドを受容する耳を作り上げたともいうべきなのでしょうけれども。

 シンセサイザーを駆使したサウンドは、現代音楽、ポピュラー音楽、エスニック音楽などさまざまな要素を組み込みながら、「構築と即興という、ある意味で相対する概念のどれをも否定せず、それらの狭間を遊ぶようにして」作られたという小島智氏の評がしっくりきます。

 後にYMOでもカバーされた「千のナイフ」や「ジ・エンド・オブ・エイジア」などポピュラーな曲もありつつ、高橋悠治とのピアノデュオなど現代音楽よりですし、クラフトワークを思わせる部分もあったりして、とにかく自由な雰囲気の面白いアルバムです。

 なお、坂本本人の本作品への言葉が発表当時と再発時点の二種類残されており、その落差がとても面白いです。若い坂本とそれを若気の至りと言いつつも優しいまなざしで振り返る坂本教授。音楽を語ることの意味を考えさせてくれます。

参照:「アヴァン・ミュージック・イン・ジャパン」小島智(DUブックス)

Thousand Knives of / Ryuichi Sakamoto (1978 コロムビア)