アンソニー・ムーアは幻の作品を何枚も残しています。本作品はその中でも極めつけの幻作品です。何といっても制作当時は発売されませんでしたから、これ以上の幻作品はないといってもよいでしょう。陽の目を見たのは発売中止から21年後のことです。

 ムーアは自身のバンド、スラップ・ハッピーをヘンリー・カウと合体させて、「悲しみのヨーロッパ」や「傾向賛美」を制作した後、シリアスな姿勢を貫くヘンリー・カウとたもとを分かちました。同時にスラップ・ハッピーも活動を停止しています。

 当時、スラップ・ハッピーとヴァージン・レコードとの間の契約が残っていたため、ムーアはグループ名義でシングルを発表した後、ヴァージンと改めてソロ契約を結んでアルバムの制作にとりかかりました。1975年夏のことで、録音は1976年春には終了します。

 完成したアルバムが本作品「アウト」です。「アルバムの総製作費は見当もつかない。全てをヴァージンが持った」そうですが、「それだけのお金を投入して、作品が完成したにもかかわらずヴァージンが発売を止めたのはとても奇妙な話だ」とムーアは語っています。

 この頃、ヴァージンは転換期を迎えていました。それまで質は高いけれども商業的には報われないプログレ・バンドを抱える良心的なマイナー・レーベルだった彼らが、話題のセックス・ピストルズを獲得して一躍メジャーに成り上がったのがこの少し後の時期です。

 ムーアはヴァージンの旧路線の典型ともいえるアーティストですから、良心的な運営から採算重視の企業体質に変わったらひとたまりもありません。しかし、こうして根強い人気に支えられてちゃんと発掘されたのですから、良心は金もうけに勝ったといえます。

 本作はヘンリー・カウのシリアス路線への反動もあって、気楽なポップ・アルバムになっています。集められたミュージシャンは盟友ピーター・ブレグヴァドやケヴィン・エアーズの関係で集まった友達ないしは友達の友達ばかりです。

 唯一の例外はドラムのバリー・デ・スーザで、ムーアはルー・リードの名作「トランスフォーマー」でのプレイが気に入って声をかけたそうです。余談ですが、バリーは井上陽水がロンドンで「氷の世界」を録音した際に、そこでもドラムを叩いています。

 また本作品でムーアとともに印象的なギターを弾いているのはアンディ・サマーズです。彼は翌年にはポリスを結成しますから、ヴァージン同様にこの時期に大転換を果たしたことになります。ますます本作品が時代の境い目にあることが分かります。

 この作品に収録された曲はいずれもポップな衣装をまとっています。ただし、柔らかなメロディーに乗せた暖かみのある声で歌われるポップ・ソングのアレンジは一筋縄ではいきません。スラップ・ハッピーをさらにリラックスさせたムーアらしい素敵なアヴァン・ポップです。

 なお、本作品は発売時には所在不明だったヒプノシス制作のオリジナル・ジャケットが日本にあることが分かり、発売からでも20年以上を経てここ日本で再発されたものです。静かに愛でていたい本当に素敵なアルバムが完全な形で帰ってくるとは嬉しいことです。

Out / Anthony Moore (1997 Voiceprint)