間にいろいろな編集アルバムが発表されているために分かりにくいことになっていますが、本アルバムはコンボ作品としてはかの名盤「カインド・オブ・ブルー」に続き、スタジオ・アルバムとしてはビッグ・バンドによる「スケッチ・オブ・スペイン」に続くアルバムです。

 「スケッチ・オブ・スペイン」が終わった後、「オレはしばらくの間、スタジオに入る気になれなかった」とマイルスは言っています。アーティストとして消耗が激しかったことでしょう。それで気分転換にツアーに出たといいますから、さすがはアーティストです。気晴らしが音楽。

 しかし、この間、ジョン・コルトレーン、そしてキャノンボール・アダレイがグループを去り、新しいサックス奏者を巡って苦労することになります。最初は旧友ジミー・ヒースを選びますが、仮釈放中だったため、移動制限があって結局断念せざるを得ませんでした。

 続いてコルトレーンの推薦を受けたウェイン・ショーターに声をかけましたが、アート・ブレイキーとの先約があってこれも断念、代わりにソニー・スティットが入りました。しかし、スティットも1961年初めにはバンドを去り、結局、ハンク・モブレーに落ち着きました。

 本作品はモブレーが入ったばかりの1961年3月にレコーディングされました。ベースのポール・チェンバースとドラムのジミー・コブは「カインド・オブ・ブルー」と同様で、ピアノは同作で一部だけ弾いていたウィントン・ケリーです。

 ところがスタジオで表題曲ディズニーの「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」の演奏を終えようとしていた時に、アポロ・シアターで公演中だったジョン・コルトレーンが突然現れ、素晴らしいテナーを披露して帰ります。彼は翌日も登場して「テオ」を吹いています。

 ついでにドラムのフィリー・ジョーも1曲だけ参加していますが、これはアルバムには収録されていません。ただし、後にボートラとして収録されており、それを聴くと、コブはやっていないドラム・ソロがしっかり収録されていて微笑ましいです。

 この頃、ジャズ界はオーネット・コールマンの出現で一気にマイルスも守旧派のようになってしまっていたそうですが、そこにあえてディズニー・ソングを持ってくるとは揺るがない自信たっぷりのマイルスらしい。それがまたぴったりはまっています。

 ジャケットはマイルスの要請で黒人女性が使われました。選ばれたのはもちろん当時のマイルスのパートナー、フランシスです。とてもキュートなジャケットはアルバム・タイトルにもぴったり合っていて素晴らしいです。人種差別が根強い米国で画期的なことです。

 ところでプロデューサーのテオ・マセロはこの頃には「テープを切ったりつないだりして編集するようになっていた」そうで、本作ではマイルスやコルトレーンは「ソロを後からレコーディングしたりもした」ようです。この時代のジャズでもそうなんだとは少し驚きです。

 「カインド・オブ・ブルー」のような凄味はありませんけれども、明るめの素敵な曲が並ぶアルバムはちょっといい感じの気楽に聴ける作品です。モブレーには悪いですが、コルトレーンのサックスが生き生きしていてかっこいいです。

参照:「マイルス・デイヴィス自伝」中山康樹訳(シンコー・ミュージック)

Someday My Prince Will Come / Miles Davis (1961 Prestige)