この作品に収録されているヤニス・クセナキス作曲の「ヘルマ」は高橋悠治のために書かれた曲で、1962年に東京の草月会館にて初演されています。もちろん初演は高橋による演奏です。この時、高橋はまだ20代前半という若さです。

 高橋はピアニストとして東京現代音楽祭にピアニストとしてデビューしたのは1960年のことで、「ヘルマ」の作曲はこの直後です。よほどクセナキスと高橋の相性が良かったのでしょう。高橋は1963年から66年にかけて渡欧してクセナキスに協力しています。

 本作はそんな特別の関係にあるクセナキス作品とその師匠でもあるオリヴィエ・メシアンの作品を高橋が演奏したアルバムです。録音は1976年5月、東京の荒川区民会館で行われました。ピアノはスタインウェイだと記されています。

 クセナキスの作品は件の「ヘルマ」と「エヴリアリ」です。こちらは1973年作曲と比較的新しい曲で、エヴリアリとは「荒れる広い海、空を旅する月、さらにヘビの髪をもつ美女メドゥーサ」を意味するのだそうです。こういうエモーショナルなタイトルも付けるんですね。

 2曲ともに極めて論理的な作曲方法がとられています。たとえば「ヘルマ」は「ピアノの鍵盤全部を含む集合Rと、そこから約30個位ずつをえらんでつくられた、三つの部分集合A、B,Cとその組み合わせの集合的演算による構成」だと解説されています。

 こうした作曲法では師匠のメシアンも負けておらず、本作に収録されている「四つのリズムのエチュード」はいずれも理知的な作曲法が用いられています。ここでは音の高さ、長さ、演奏法、強度を固定された音を置換群で変換してくみあわせる、なんていう手法です。

 私は音楽を作る側ではないので、こうした作曲の方法論を強調されても、馬の耳に念仏状態が発生するのみです。ここは自らの音楽づくりの限界を理性の力で乗り越えようとする二人の大作曲家の真剣な試みだという事実だけで満足したいと思います。

 そんな考え抜かれた作曲手法から作り出された音楽を高橋は水を得た魚のごとくはつらつと演奏しています。彼の身体感覚にこうしたサウンドがシンクロするのでしょう。特に前半のクセナキス作品はどちらも高橋のためにあるようなものです。

 クセナキスの構成された音群はあくまで理知的でありながら、フリー・ジャズの極北に位置する作品のようにも聴こえます。これをマルタ・アルゲリッチや辻井伸行が弾いているところなど想像できません。指ではなく脳の奏でる即興音楽といった風情です。

 メシアンの方はパプア・ニューギニアのメロディが用いられたりして、クセナキスに比べると少し柔らかい感じがします。それを高橋はごいごいと弾いていきます。切迫した様子すらうかがわれる迫力ある演奏です。

 この作品を制作した当時、高橋はまだ40歳になる前です。タキシードなどは着ておらず、デニムのジャケットをはおった姿の高橋はクラシックというよりはジャズ・ピアニストに近い風貌です。その容貌が示唆するとおり、ジャズとしても楽しめる作品だと思います。

Yuji Takahashi Plays Xenakis and Messiaen / Yuji Takahashi (1976 Denon)

随分後の演奏ですが...。