ワールド・ミュージックが盛り上がったのは1980年代後半のことでした。私はその頃インドに住んでいたものですから、ラッキーなことに身の回りにワールド・ミュージックがあふれており、帰国後もごくごく自然に盛り上がりを楽しむことができました。

 細野晴臣の4年ぶりとなる13作目のアルバムである「オムニ・サイト・シーイング」は、美容院で耳にしたアラブ風の音の虜となってしまった細野が「アラブ対自分という難問に、ソロ・アルバムを通じて対面せざるを得なかった」と告白する、そのソロ・アルバムです。

 アラブの音楽はワールド・ミュージックの震源の一つです。とりわけアルジェリアのライと呼ばれる音楽は旧宗主国フランスにおいて大いに人気を博し、代表的スターであるシェブ・ハレドはメジャー・レーベルからアルバムをリリースするに至ります。

 私も当時ハレドのアルバムを手に入れてよく聴いたものです。細野は「そのあまりにも油脂的異国情緒に圧倒され、ついぞ考えても見なかった自分の淡泊質を指摘される思いがする」と告白しています。多くの日本人の感想でしょうが、淡泊とは思えない細野さんまで...。

 しかし、結局「自分はワールド・ミュージックじゃないと思うようになった」細野は、絶妙の立ち位置を獲得します。それが観光です。全人格を現地に没入するのではなく、一歩引いて観光。とても正しい世界との向き合い方だと思います。

 結果的にこのアルバムは「オムニ・サイト・シーイング」すなわち「全方位観光」の名の通り、空間のみならず、時間も「エジプト以前の時代、オリハルコンの輝く旧世界まで」全方位に向かって観光する作品になりました。「世界に何も難しいことはない。といいつつ肩をもむ」。

 アルバムの最初は細野が「のど自慢」番組でたまたま目にした北海道江差町から来た14歳の少女、木村香澄のこぶしが忘れられなくなり、その娘を探し出してアカペラで録音したという「エサシ」で始まります。日本のワールド・ミュージックたる民謡「江差追分」です。

 その頃はアルバムの構想はまだなかったそうですが、結果的には最高のオープニングとなるのですから、まるで神の思し召しのようです。「エサシ」では民謡界の大御所、本篠秀太郎の助けを借り、さらにズヒール・ゴージャ、ジュリアン・ワイスの二人が参加しています。

 ゴージャはアラブ系のアコーディオン奏者、ワイスはスイス人カヌーン奏者で、ワールド・ミュージック・ブームの仕掛け人マルタン・メソニエが手配して参加しています。二人はチュニジア生まれの歌手アミナのバンドにいた人たちで、本作にはアミナも参加しています。

 このワールド・ミュージック人脈に日本からコシミハルや清水靖晃などいつもの細野人脈を加えて出来上がった本作品には、デューク・エリントンあり、アシッド・ハウスあり、民謡あり、地下都市の海あり、宇宙エネルギーのオルゴン・ボックスありと大忙しです。

 いかにも硬質なエレクトロニクス・サウンドが中心ですけれども、落ち着いた気楽な観光気分が満喫できる作品です。カルロス・カスタネダからウイルヘルム・ライヒ、宮沢賢治まで有名人巡りも合わせて細野ワールド全開です。ほっと一息、お洒落なアルバムです。

omni Sight Seeing / Hosono Haruomi (1989 Epic)