「ヴァーティカル・ジャミング」のカセットが出たと思ったら、ほどなくして新作「ヴァーティゴKO」が届けられました。ここのところのフューの活躍ぶりには目を見張るものがあります。デビューしてから40年が経過し、ますます元気とは嬉しい限りです。

 ただし、「ヴァーティカル・ジャミング」が実質的には再発だったのと同様に、本作品「ヴァーティゴKO」も純粋な新作というわけではありません。「2017年から2019年、10年代の終り、この閉塞的な期間に制作された音のスケッチです」。

 本作品制作のきっかけはワープの傘下にある一味違う新興レーベル、ディサイプルズからアプローチを受けたことだそうです。過去の音源を編集して発表することが得意なディサイプルズですから、当然、同様の作品発表を持ち掛けました。

 あまり企画自体に乗り気でなかったフューですが、意気に感じて音源を送ったところ、自分では考えつかないような選曲をしてきたことから大そう興味をそそられて、最終的に新録音の2曲でアルバムの流れを補い、本作品が誕生しました。

 選ばれた曲は、フューがライブ会場で販売していたCDRシリーズのうち、2018年の春に録音された「Phew05」から3曲、「ボイス・ハードコア」から海外発売の際に落とされた曲、アメリカのラジオ局の依頼に応じて録音したレインコーツのカバー、そして新録音2曲です。

 CDRからの3曲はそれぞれ朝、夕方、真夜中を冠した曲で、時系列で出てきます。もともと朝は「ただただ耳に心地よく軽い音楽をフリーのソフトウェアシンセを使って作ろう」と思ったという、フュー版ヘヴンリー・ミュージックを期待してできた曲です。

 ただし、そこはフューのこと、イージー・リスニングには決してならず、「作ってて飽きちゃったんですよね」ということで途中からいわゆるヘブンではなくなってきます。そうは言ってもビートレスですから続くレインコーツの「ザ・ヴォイド」のダークな曲調との対比が際立ちます。

 「もともと、私には和声の感覚みたいのが無いんですよ」というフューの独特のボーカルは、三曲目の「ヴォイス・ハードコア」からの「踊りましょう、行きましょう」ではボイスへと転化していきます。ここまでのまるでタイプの異なる三曲の並びがまず素晴らしいです。

 このままアルバムは重苦しくなっていきます。CDRの「夕方」と「真夜中」は「結果として、悪夢音楽になってしまいました」という曲です。特に真夜中の「ミッドナイト・アウェイクニング」は聞き取れる言葉が不安定に揺らいでいるようで、悪夢そのものです。

 挟まれている新曲「オール・ザット・ヴァーティゴ」は「自分でなにか作ろうと思っても、現実に背を向けて音楽作ろうと思っても、どうしても現実に影響を受けてしまうみたいな様を表現しました」というこれまた不安を掻き立てる曲です。アルバム全体を象徴する曲です。

 アルバムのメッセージは「なんてひどい世界、でも生き残ろう」です。最後の「ハーツ・アンド・フラワーズ」で諦念の中に新たな活力を見出して救われます。フューの音楽はとても誠実です。どこまでも真摯で純粋です。フューと一緒に旅をした気にさせる具体的な音楽です。

参照:「Phewが語る時代の閉塞感『絶望的にもなるけど、私は音楽を続けていく』」ヤスオ・ムラオ(ローリング・ストーン)

Vertigo KO / Phew (2020 Disciples)