いよいよビル・エヴァンスの登場です。マイルス・デイヴィスは「マイルストーン」のセッションでレッド・ガーランドに見捨てられたので、新しいピアニストが必要となっていました。そんな時は友だちとばかり、理論派ピアニストのジョージ・ラッセルに推薦を依頼しました。

 ジョージが推薦したのが「ビル・エヴァンスという若者だった」のです。エヴァンスはラッセルに師事しており、マイルスの求める「モードができるピアニスト」という条件にぴったりだったということです。物静かな白人ピアニストの加入でバンドのサウンドはもう一度変わりました。

 エヴァンスを加えたセクステットの初録音は1958年5月26日のことで、本作品はその演奏を収めたアルバムです。またまたマイルスの名前を効果的に使ったタイトルですが、これは1974年に日本独自企画で発表された際に付けられたものです。日本も頑張った。

 この日録音された曲のうちの3曲はコロムビアによって1959年11月に「ジャズ・トラック」というタイトルで発表されていました。しかし、そのアルバムはマイルスがパリで制作した「死刑台のエレベーター」からの曲と一緒にされたものでした。

 日本独自企画は「ジャズ・トラック」から「死刑台のエレベーター」を取り除き、別途オムニバス・アルバムにのみ収録されていた「ラヴ・フォー・セール」となぜか1955年に録音されていた「リトル・メロネー」が追加されたアルバムでした。

 どうやら「リトル・メロネー」は1958年にマイルスがソロ部分を吹き直して再録音されたものと思われていたためにこういう結果になったようです。実際には1958年バージョンは別に存在し、2000年に編集盤にて陽の目を見ています。

 私の持っているコロムビア・バージョンでは、すっきりと「リトル・メロネー」を落とし、「フラン・ダンス」の別テイクを収録していますから、アルバムまるごと5月26日のセッションを記録した大変分かりやすい形になりました。いろいろとややこしいですね。

 いずれにせよ、綺麗な形でビル・エヴァンスの登場を寿ぐことができるのは大変結構なことです。A面最初の「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」はいきなりエヴァンスのソロから始まります。エヴァンスらしい知的でリリカルなピアノです。ガーランドとはかなり異なります。

 エヴァンスは「ラフマニノフやラヴェルやクラシックに関する、多くの知識をバンドに持ち込」みました。彼の「演奏には、いかにもピアノという感じの、静かな炎のようなものがあった」とマイルスは絶賛しています。リズムを生み出すというよりも、控え目に抑えて弾くスタイルです。

 「奴のアプローチの仕方やサウンドは、水晶の粒や、澄んだ滝つぼから流れ落ちる輝くような水を思い起こさせた」というマイルスの表現がしっくりきます。彼の参加によって、セクステットのサウンドはモードの方向にどんどん進化していきました。

 なお、ドラムはフィリー・ジョー・ジョーンズがまた辞めており、ジミー・コブに代わりました。ジミーもまた「セクステットに自分だけの何かを付け加えられる良いドラマー」です。いよいよ「カインド・オブ・ブルー」の役者が揃ってきたわけです。

参照:「マイルス・デイヴィス自伝」中山康樹訳(シンコー・ミュージック)

1958 Miles / Miles Davis (1974 Columbia)