ブライアン・イーノが歌っている、ということで大いに話題になった作品です。イーノがボーカルを披露するのは「ビフォー・アンド・アフター・サイエンス」以来、実に13年ぶりのことです。さすがにソロ・デビュー作のようなはっちゃけた歌ではなく落ち着いた歌声です。

 ジョン・ケイルとイーノのコラボレーションは1974年にさかのぼります。お互いのソロ・アルバムにゲスト参加していますし、この年には「悪魔の申し子たち」というものすごい邦題のついたアルバムに収められた歴史的ライブに二人して参加しています。

 その後も交流は続き、このアルバムのきっかけとなったのはケイルのソロ作品「ワーズ・フォー・ダイイング」をイーノがプロデュースしたことです。アルバムの隙間を埋めるための新曲の算段をしているうちに、イーノから二人のコラボ・アルバム制作をもちかけました。

 この時点ですでにイーノは歌うことを決めており、自分一人だと永遠に終わらないからコラボに走ったとのことです。しかし、とにかく仕事に集中するイーノと散漫なこと極まりないケイルという真逆なスタイルの二人のコラボは刺激的だけれども大変だったようです。

 とはいえ、何も喧嘩したわけではなく、出来上がった作品は平和な空気が漂うポップなアルバムです。イーノとケイルが5曲ずつを平等に主導しており、しかもそれぞれにお互いの持ち味を注入しているというコラボレーションの鏡のような作品になりました。

 平和には理由があります。アルバム制作の半年前にイーノに娘さんが生まれました。イーノはこのアルバムを彼の人生の出来事のスナップショットだと言っており、娘さんはその最大の事件です。制作時に開かれていたFIFAワールド・カップと並べるところがイーノらしいですが。

 ボーカルについて、まずイーノは自分の声が好きだと言っています。その細い声によるボーカルを完全に楽器として取り扱うのがイーノ流でしょう。ただし、一日中歌い続けているととても感傷的になり、ソープオペラを見て涙を流すような状態になるんだそうです。

 ともかくこのアルバムはイーノのとてもエモーショナルな時期を反映しているということです。一方のケイルの話がまるで伝わってこないのですが、そこはとっちらかったケイルのことですから、いつもと同じテンションでイーノとの仕事を楽しんだに違いありません。

 ケイルはこの時期にルー・リードとの共作「ソングス・フォー・ドレラ」を発表しています。本作品の「コルドバ」などは似た雰囲気を持っていますけれども、こちらのアルバムは全体にイーノの明るさに引っ張られて、ケイルもダークはダークながら平和的です。

 私は冒頭の「レイ・マイ・ラブ」が大好きです。奇妙なリズムはとてもケイル的ですし、そこにイーノらしいコーラスのようなリード・ボーカルがフラットに響く。いかにもイーノとケイルという私の大好きなアーティストのコラボだなあとしみじみと感じ入ります。

 イーノのアルバムとしてはテレビに縦置きを強いる悪名高い5年前の「サーズデイ・アフタヌーン」の後ということもあって、私はこのアルバムでのイーノとケイルのボーカル、平和なポップに大そうほっとしました。大変気持ちの良い素敵なアルバムです。

Wrong Way Up / Brian Eno & John Cale (1990 Opal)