貧困と暴力に囲まれた境遇から音楽一つでのし上がった、というステレオタイプな見方を特に黒人ミュージシャンに対して抱きがちですけれども、それは人種差別の長い歴史からくる偏見にすぎません。そういう人もいるでしょうし、そうでない人もいる。当たり前です。

 マイルス・デイヴィスは裕福な家庭に育っており、そうしたステレオタイプからは全くかけ離れています。ニューヨークに出てくるにあたって親を説得するためにジュリアード音楽院に入ったとか、ヘロイン中毒に対しても父親が救いの手を差し伸べたとか。

 そのマイルスの育ちの良さをいかんなく表しているのがこの作品のジャケット写真です。ドラッグに侵されていたとはいえ、良いところのお子さんであることは一目瞭然です。このジャケットは後の凄みのあるマイルスとは一線を画し、大そう穏やかです。

 「ミュージング・オブ・マイルス」のサウンドもジャケットに現れた雰囲気をもった端正なアルバムです。録音は1955年6月7日、カルテットでの収録です。本作はこれまでの作品と違って、ストレートにワン・セッションを収めています。ようやくですね。

 メンバーはマイルスのトランペットに、お馴染みフィリー・ジョー・ジョーンズのドラム、オスカー・ペティフォードのベース、そしてレッド・ガーランドのピアノです。ガーランドは「アーマンド・ジャマルみたいに弾けるピアニスト」としてリクルートされました。

 この頃、マイルスは姉のドロシーから薦められて見たピアニスト、アーマッド・ジャマルの虜になっていました。私はジャマルのことはマイルス経由で知ったのみですが、マイルスより4歳年下で、長年にわたって活躍したピアニストです。

 マイルスはジャマルの「間(ま)に対するコンセプト、タッチの軽さ、控えめな表現、音符や和音や楽節のアプローチ」、「叙情性やピアノの奏法、グループのアンサンブルの重ね方に聴ける間の使い方」などに大いに興奮しています。

 マイルスはガーランドにははっきり「アーマンド・ジャマルみたいに弾いてくれ」と言っており、そうした時にガーランドは最高の演奏ができると確信していたようです。ガーランドはマイルスの「望んでいたものにかなり近い出来」で要求にこたえています。

 ガーランドの「旋律的な控え目さと軽さ」がアンサンブル全体のサウンドを表しているように思います。マイルスのトランペットもとても軽やかですし、フィリー・ジョーのドラムも大変軽快で、とても楽しいサウンドになっています。

 ディジー・ガレスピーの「チュニジアの夜」でも、ペティフォードのおどろおどろしいベースにシャフトにベルを埋め込んだスティックを使ったドラムでやや力が強めながら、本家と比べるとずいぶん柔らかなマイルスのトランペットです。

 ジャマルの真似をしたわけではなく、以前からこんなフィーリングでやっていたと力説するマイルスです。これまでのマイルス作品とは一線を画すカルテットで、とても気持ちの良い素晴らしい作品ですが、こんな作品はこれだけで先に進みます。さすがはマイルス。

参照:「マイルス・デイヴィス自伝」中山康樹訳(シンコー・ミュージック)

The Musings Of Miles / Miles Davis (1955 Prestige)