何に驚いたといえば、このジャケットです。男性の死体、ヒールを履いた生足の女性の手にはピストル、唸る黒猫。映画のワンシーンのような構図ですが、なんとこれ、写真じゃなくて絵です。超写実主義で描かれた絵なんです。

 スニッフ&ザ・ティアーズの中心人物ポール・ロバーツは絵描きでもあり、このジャケットも彼の作品です。この絵は当時ロンドンのニコラス・トレッドウェル・ギャラリーに所蔵されていたといいますから本格的な画家であったことが分かります。

 ポール・ロバーツといえば、ストラングラーズにヒュー・コーンウェルの後釜として加入したポールが有名ですが、同姓同名の別人です。このポールは1970年代前半からパブ・サーキットで活動していた人で、その頃もそれなりに人気があった人なのだそうです。

 その後、ポールはフランスに渡り、そこでレコード契約を結ぶことに成功します。しかし、発表したシングルはぱっとせず、音楽活動に幻滅した彼はロンドンのギャラリーからオファーを受けたことを機に絵画に専念することを決めてしまいます。

 しかし、一本の電話が運命を変えます。ポールとその仲間はフランスのレコード会社を説得して1975年に英国でデモ・テープを制作していましたが、その仲間であるルイジ・サルヴォーニがポールにもう一度一緒にやろうと持ち掛けたんです。1977年のことです。

 この時期のイギリスはパンクが終わってニューウェイブの時代、パブ・サーキットで活動していてパンクに乗り遅れた世代にはチャンスが巡ってきていました。新たなデモを制作したスニッフ&ザ・ティアーズはそんなレーベルの一つチズウィックと契約を交わすこととなります。

 アルバム制作にあたってはデモを元にしつつも、後にアニー・レノックスなどのプロデュースで成功するスティーヴ・リプソン他を迎えてサウンドをブラシュアップしていきます。そうした紆余曲折を経つつも本作品「フィックル・ハート」が完成しました。

 その後、アルバム発表までにはさらに1年を要することになりますが、ともかくそうして本作品が陽の目をみました。この作品は米国の有名マネジャーを引き寄せ、その結果、ケニー・ロギンス、カンサスのオープニング・アクトとして全米ツアーを敢行しました。

 そんなこともあって、本作の1曲目、元は1973年夏にネズミや騒々しい冷蔵庫と暮らしていた頃に作られたという「ドライバー・シート」が全米15位となる大ヒットになりました。ちなみにこの曲、90年代初めにオランダでTVCMに使われて1位になっています。

 プロデュースはルイジ、曲作りはすべてポール、バンド・メンバーは総勢10名の大所帯です。フォーク、ロック、R&Bをミックスしたサウンドはパブ・ロック的ですが、映画を見ているような映像的な作品でもあります。そこがタイムレスな感覚をもたらします。

 ポールが唄い、ギターを奏でる哀愁漂うメロディは、いつの時代にも通用する普遍的なものです。時代に特化していないサウンドですから、今でも好んでこういうサウンドを奏でる人がいます。懐かしくもあり、新鮮でもあり。気持ちの良いアルバムです。

Fickle Heart / Sniff 'n' the Tears (1978 Chiswick)