1950年代初期はLP黎明時代にあたっており、マイルス・デイヴィスのプレスティッジからの作品はまず10インチLPでリリースされています。その後、12インチが標準になると、10インチを12インチに再編して作品が再発売されました。

 そのため、ディスコグラフィーはなかなかにややこしいことになっています。本作品「マイルス・デイヴィス・アンド・ホーンズ」もその例に洩れません。録音時期でいうと1951年1月17日と1953年2月19日の演奏が同居することになっています。

 アルバムの後半が時系列では先に来る1951年1月のセッションです。マイルスがお父さんのところからニューヨークに戻った直後、プレスティッジへの最初のレコーディングです。この日は一日で3つのレコーディングを行うという忙しい日でした。

 メンバーはテナー・サックスにソニー・ロリンズ、トロンボーンにベニー・グリーン、ピアノにジョン・ルイス、ベースにパーシー・ヒース、ドラムにロイ・ヘインズという顔ぶれです。ロリンズとルイス、ヒースを除くとあまり見ない顔ぶれです。

 残念ながら、マイルスは「オレの演奏は良くなかった」とにべもありません。「ヘロインをまた打ちはじめていたうえに、肉体的にもテクニック的にも、いつもの俺じゃなかった」。「だが他のメンバーは良い演奏をした」と言って、特にロリンズを誉めています。

 もう一人のジャンキー、ロリンズのぶっといサックスが確かにかっこいいです。本人は良くないと言っていますが、マイルスのトランペットもかっこいいです。アレンジはルイスで、もとはオムニバスの「モダン・ジャズ・トランペッツ」と「ブルー・ピリオド」の収録です。

 前半の1953年2月録音は、「マイルス・デイヴィス・プレイズ・ザ・コンポジションズ・オブ・アル・コーン」がオリジナルで、そのタイトル通り、1940年代からウディ・ハーマン楽団などで活躍していたサックスのアル・コーンの作品をマイルスが演奏したものです。

 コーンとその盟友ズート・シムズのテナー、ソニー・トゥルイットのトロンボーン、ジョン・ルイスのピアノ、レナード・ガスキンのベース、ケニー・クラークのドラムスといういつものマイルスとは異なる布陣です。プロデューサーのボブ・ワインストックが集めたそうです。

 直前のチャーリー・パーカーとのレコーディングで懲りたボブがクリーンな信頼できるミュージシャンを集めました。とはいえマイルスはまだジャンキーでしたし、ズート・シムズもそうだったらしく、レコーディング前に二人は「やってしまっていた」そうです。

 「みんな結構良い演奏をした」し、「オレも久しぶりに、やっと良い演奏ができて満足だった」とマイルスは語っています。このセッションはハード・バップのマイルスを想定すると肩を透かされます。ソロが少ないアンサンブル中心のサウンドはかなり折り目正しい感じです。

 前半と後半でかなり毛色が違うサウンドとなっていて、結果的にジャズの来し方行く末を知る上で楽しいアルバムになっています。なんとかヘロインの虜から脱しようともがくマイルスの姿を前に楽しいというのは何ですが、楽しいものは楽しいのでしょうがありません。

参照:「マイルス・デイヴィス自伝」中山康樹訳(シンコー・ミュージック)

Miles Davis And Horns / Miles Davis (1956 Prestige)