マイルス・デイヴィス、ソニー・ロリンズ、ジャッキー・マクリーン、ウォルター・ビショップ、アート・ブレイキー、トミー・ポッター。何とも凄い名前が並んでいますが、時は1951年、まだまだ皆さん駆け出しの頃、ジャッキーに至ってはこれが初レコーディングです。

 1950年、後に名門レーベルに成長するプレスティッジを立ち上げたボブ・ワインストックはなんとかマイルスを録音しようと電話帳のデイヴィスさんを片っ端から当たるという手段で何とかマイルス父にたどり着きます。結果、1951年1年間の契約が結ばれました。

 当時、ドラッグ問題でどん底にあったマイルスにとって、この契約は大きな心の支えになったようです。さらにプレスティッジは新たな技術を使った録音を試みていました。LPの登場です。それまでSPで制約となっていた3分の録音時間の壁が破られたんです。

 これにはマイルスはとにかく興奮したようです。それまでは「大急ぎでソロを始めて終わらせなくちゃならないし、本当に自由なソロをとる余地なんてなかった」から、「この新技術が持たらす自由な可能性に興奮していた」んです。

 こうなると俄然スイッチが入ります。そして最高の仲間を集めた、1951年10月5日のレコーディングは「最高の演奏になった」とマイルスは述懐しています。「トランペットの練習は十分、おまけにバンドのリハーサルもやったから、誰もが素材やアレンジに慣れていた」。

 録音にはチャーリー・パーカーも見学に来たそうです。憧れの人を前にしたジャッキーは「ひどく取り乱してしまった」そうですが、ここは張り切って素晴らしいアルト・サックスを聴かせています。チャーリー・ミンガスもちょっと演奏したそうですが、真偽のほどはどうでしょう。

 このセッションは「ザ・ニュー・サウンズ」、「ブルー・ピリオド」という2枚の10インチLP及び
後者からのシングル・カット「アウト・オブ・ザ・ブルー」のB面を加えると全貌となります。本作品は1956年に12インチLPにまとめられたものです。

 ただし、12インチLP化に際して、2曲がカットされました。これがCD化で復活したので、大変収まりがよい形になりました。マイルスは「サウンドが自分自身のものになりつつあったから『ディグ』は大いに気に入った」と言っていますから、完全版となって本当によかった。

 ここでの演奏ははつらつとしていて素晴らしいです。アートのどしゃどしゃしたドラムに乗ってマイルス、ソニー、ジャッキーが吹きまくる。3分間のくびきから解放されて、実にのびのびとしています。ジャンキー仲間による演奏とはとても思えない元気さです。

 この頃、ドラッグの影響で満足のいく演奏がなかなかできなかったマイルスとは思えません。それもハード・バップへの先駆けとなる力強い演奏です。ウォルターのピアノが活躍するバラードでの繊細なトランペットも素晴らしい。

 ジャズと聞いて真っ先に思い浮かべるのはここで聴かれるサウンドです。ジャズにとっては奇跡の1950年代の幕開けを告げるアルバムです。若いジャズ・ミュージシャンたちの熱気がむんむん伝わる素晴らしいアルバムです。

参照:「マイルス・デイヴィス自伝」中山康樹訳(シンコー・ミュージック)

Dig / Miles Davis (1956 Prestige)