本作を制作したばかりの83歳のジョン・ハッセルはレコーディング・スタジオで足を骨折してしまい、4ヶ月もの間、入院生活を余儀なくされました。折あしくコロナ禍のために病院は訪問者お断りとなり、携帯電話だけが外界とのつながりだったと言います。

 退院したハッセルは「鳥かごから放たれた小鳥の気分」になり、新たな創作意欲が湧いている様子です。この調子だとまだまだ意欲的な作品が登場してくることになるでしょう。今時の80歳の中には、恐るべき老人が多いものです。

 本作品はハッセルの最新シリーズ「ペンティメント」の第二弾です。前作が「絵画を聴くこと」であったのに対し、本作は「音を通して見ること」とされました。まさに表裏一体の関係にあるコンセプトだと言えます。視覚と聴覚の交錯が麗しい。

 もともとこのシリーズはハッセルのソウル・ブラザーだった画家マティ・クラーワインに触発されて誕生しています。本作においてもマティの絵画がジャケットに使われており、まずはマティの絵を眺めながらハッセルのサウンドに立ち向かうことが求められます。

 ペンティメントとは絵画の用語で、修正されたはずの下塗りがおぼろげに浮かんで見えることを指すイタリア語です。ハッセル曰く、「幾層にも及ぶ修正がなにものかに花開いていくために使われていく」ということで、これがサウンドにも当てはめられます。

 すなわち、本作品の制作にあたって、完全に音を上書きするのではなく、幾層にも音を重ねていくこととしています。そのため、修正されないざらざらしたサウンドが随所に現れており、サウンドに厚みが生じています。とにかく密度が濃い。

 ジャケットにはフェリーニの言葉が引用されています。「いつも音楽はあなたに秘密を語るということのように思える」。幾重にも重なるサウンドからほのかに立ち現れてくる顔は確かに秘密めいています。宝探しの様相を呈しているとも言えます。

 本作は冒頭の「フィアレス」と最後の「タイムレス」という、どちらも8分を超える大曲が対になっており、間に6曲を挟み込む形で構成されています。この2曲が複雑に空間を塗りこめていくサウンドスケープを代表し、間の6曲がさまざまな断片を描きだしています。

 前作に比べると、力強い一定のビートの繰り返しが際立ちます。公式サイトではこれをまるでカンのようだと評しています。ハッセルとカンのイルミン・シュミット、ホルガー・シューカイはシュトックハウゼン門下で同時期に学んだ仲ですから面白い一致です。

 演奏はハッセルのトランペットやエレクトロニクスに加えて、前作とほぼ同じメンバーが担当しています。そのクレジットはエレクトロニクスやサンプラーに加え、エレクトロニック・テクスチャー、ライトウェイブなどますます曖昧になってきています。

 こうした編成で、音響空間の中に時間を折りたたんでいくところが本作の醍醐味です。その時間を再び広げていくことで見えてくる情景、そこにマティの絵をまずは置いてみる。そうすることで見事にハッセルの世界を堪能することができます。

参照:The Guardian 2020/07/28

Seeing Through Sound / Jon Hassell (2020 Ndeya)