2020年になって、またまたドイツのロック界の重鎮カンの再発プロジェクトが進行しています。カンの作品などほとんど入手不可能だった時期を知っているだけに感慨もひとしおです。今やカンはクラウト・ロック界のみならず、音楽界全体にとっての重鎮です。

 そんなカンも今やほとんどのメンバーが鬼籍に入っており、オリジナル・メンバーではイルミン・シュミット一人を残すのみとなりました。その彼の新作が本作「ノクターン」です。カンの再発シリーズに混じって日本盤も発売されることになりました。

 本作品は、2020年5月29日、イルミン83歳の誕生日に発売された正真正銘の新譜です。しかもライブ盤。アルバムのサブタイトルにある通り、イギリスのハダースフィールド現代音楽祭におけるライブ録音です。時は2019年11月のことです。

 ハダースフィールド現代音楽祭は1978年に始まった大規模な音楽祭で、実験的かつ前衛的な音楽家が登場することで名高いフェスティヴァルです。過去のゲストのリストを見ると、ジョン・ケージやシュトックハウゼン、スティーヴ・ライヒなどそうそうたる名前が並んでいます。

 主に現代音楽が中心ですが、ブライアン・イーノが呼ばれたりしていますし、フリー・ジャズなど即興音楽にも強い様子で、10日間に及ぶ2019年のフェスではサックスのエヴァン・パーカーが生誕75周年記念公演を行っています。

 イルミンはもともとクラシックの英才教育を受けた人で、もちろん音大で学んでおり、カンを結成する前には劇場オーケストラの指揮者を務めていました。しかし、米国を訪問したイルミンは、フルクサスやミニマル・ミュージックなどの洗礼を受けて大きな転機を迎えます。

 「常にスポンテイニアスであるべき」という姿勢を固めたイルミンの進んだ先がカンであり、その姿勢はカンが解散した後も崩れません。高度な理論で予め構築されたサウンドではなく、即時的に宇宙との共振の中からサウンドを生み出していくということです。

 ハダースフィールドで、イルミンは2018年に発表した「五つのピアノ作品集」の英国でのプレミアム演奏を行いました。この作品にはそのうちの一つ「ピアノ作品2」が収録されています。プリペアド・ピアノを使った即興的要素を存分に交えた長尺バージョンとなっています。

 本作品ではアルバム・タイトルとされた「ノクターン」がこれに続きます。水滴の音を中心とするサウンドスケープが用いられており、プリペアード・ピアノ特有の打撃音があらぬ方向から響いてくる、幽明の境を行き来するような美しいサウンドです。

 最後はノートルダム寺院の火災をきっかけに生まれた「ヨンダー」です。「まわり一面廃墟に囲まれて暮らしていた第二次大戦中にも、教会の塔だけは無傷で、毎日1時間ごとにその塔の鐘が廃墟の中で鳴り響いていた」記憶が蘇ってきて作曲されたそうです。

 こういう話を聞くと、83歳という年齢の重みをひしひしと感じます。残響の短いプリペアード・ピアノのサウンドを駆使して、イルミンその人の人生全体が宇宙と交感して音楽を生み出す。80歳ならではの時の花が見事に咲き誇っています。

Nocturne / Irmin Schmidt (2020 Spoon)