1985年は「インディーズの襲来」した年です。NHKが放映した同名タイトルのドキュメンタリーによって、それまで一部でしか知られていなかったインディー・レーベルのアーティストが一気に注目を浴びました。インディーズ・ブームの到来です。

 その番組の中でラフィン・ノーズとともに取り上げられたのがザ・ウィラードでした。ここにケラリーノ・サンドヴィッチの有頂天を加えた三バンドが当時の「インディーズ御三家」です。インディーズという以外にはほとんど共通点がない御三家でした。

 この番組は世間にはインディーズの襲来だったかもしれませんが、私にとっては幸せだった自主制作ブームの終焉でした。ラフィン・ノーズのチャーミーの番組でのコメントがまるで矢沢永ちゃんのようだったことが決定的でした。姿勢がメジャーと変わらんやんと思ったんです。

 あくまでクールだったザ・ウィラードにとって御三家としてまとめられたのは不幸なことですけれども、キャプテン・レコードから1985年に発表された本作「グッド・イヴニング・ワンダフル・フィーンド」はインディーズとしては異例の売り上げを記録しました。

 本作の売り上げは公称2万枚です。当時は自主制作盤を取り扱うレコード店は少なかったですから、これは驚異の売り上げだと言えます。当然のことながら、次のアルバムはメジャー・レーベル、東芝EMIに移籍しての発表になっています。

 ザ・ウィラードは1982年11月頃に結成された4人組のパンク・バンドです。翌年2月にはスターリンのフロント・アクトとしてライヴ・デビューしています。ミチロウに気に入られたようで、8月にはミチロウ編集の雑誌の付録でソノシート・デビューとなります。

 ボーカルのジュンは一時ギタリストとしてスターリンに加入するに至り、一度バンド活動は中断してしまいました。しばらくして再開するも、いろいろとトラブルに見舞われます。それでもシングル盤を予約だけで完売するなど着々と人気を獲得していきます。

 そこにこの作品です。ジャケットに写っているのはボーカルのジュンです。トレードマークとなっていた海賊帽をかぶり、白塗りの化粧を施したヴィジュアルで攻めています。後のヴィジュアル系バンドに多大な影響を及ぼした元祖の一つです。

 メンバーはボーカルのジュン、ベースのクラン、ドラムのキョーヤ、ギターには新加入のユーという布陣です。インディーズらしく極めてシンプルな編成で、シンプルなパンク・サウンドを矢継ぎ早に繰り出します。ボートラのストゥージズの名曲「サーチ&デストロイ」と地続きです。

 ジュンは「やっぱり主流があって反主流があって、という区別は皆したがるけれど、その中に括られる危うさは良く理解してるから、そのどっちにも関わりたくなくて。やっぱり音楽をやるためには三種類目の極でいたほうがいい」と語ります。

 若書きの歌詞にそうした意気込みが宿ります。演奏もボーカルもとにかく勢いだけはあって、当時のインディーズ・シーンの熱さが伝わってきます。その後も息の長い活動を続けるザ・ウィラードの原点となったインディーズ界の名作です。

参照:CDジャーナル・インタビュー 恒遠聖文 2017/01/13

Good Evening Wonderful Fiend / The Willard (1985 キャプテン)