マーシャル・タッカー・バンドの素晴らしいデビュー・アルバムです。バンド名を冠したセルフ・タイトルなのですが、日本では「キャロライナの朝焼け」と邦題がつけられました。ワーナー・ブラザーズからの粋な計らいには邦題大賞を差し上げたいと思います。

 マーシャル・タッカー・バンドはサウスカロライナ州スパータンバーグにて誕生したサザン・ロック・バンドです。この町は人口が4万人にも満たない小さな町ですから、全員が同じ出身となるとその結びつきは強固なものがあります。私も同様の町出身なのでよく分かります。

 おまけにバンドの中心、ボーカルのダグ・グレイ、ギターのトイとベースのトミーのコルドウェル兄弟は地元とベトナムで兵役についていたそうですから、ますますつながりは強い。この当時、米国はベトナムで戦っていたんです。重い出来事です。

 三人はさまざまなローカル・バンドで活動した後、いよいよ1972年にマーシャル・タッカー・バンドが結成されます。メンバーは三人に加えて、バンド・メイトのジョージ・マッコークル、ジャズ・ドラマーのポール・リドル、そしてフルートのジェリー・ユーバンクの6人です。

 ジェリーはカリフォルニアで活動していたサックス奏者でしたが、説得されてスパータンバーグに戻り、主にフルートに持ち替えてバンドに加わりました。ジャズを出自にもつミュージシャンが二人含まれていることがバンドの特徴でもあります。

 彼らは毎晩ステージに立ち、ステージ上で新しい音楽を作ることに熱中します。彼らがオープニングを務めたウェット・ウィリーのフロントマン、ジミー・ホールが彼らの演奏に感銘を受けカプリコーン・レコードのポール・ウォルデンに紹介すると、あっという間に契約となりました。

 ダグは語ります。「どの曲も毎回違ってた。僕たちがステージでやっていたのはジャム演奏だ。いつでも気を張っているってことを学ばないといけないんだ」。「六つの異なる個性が一つの実体となるんだ」。ジャム・バンドの先駆けだと考えればわかりやすいです。

 そんな彼らだけにデビュー・アルバムの録音もほとんどがスタジオ・ライブで行われました。プロデュースはオールマン兄弟と演奏していたキーボード奏者のポール・ホーンズビーが担当し、ピアノとオルガンでの貢献も含めて初録音の彼らを上手に導きました。

 その結果出来上がったアルバムはデビュー作とは思えない風格が漂う傑作になりました。トイの驚異の親指ピッキング・ギター、奥行きと広がりを与えるジェリーのフルート、ジャズっぽいポールのドラムを中心とするサウンドは緊密なアンサンブルが軽快に力強い。

 同じカプリコーンのオールマンズと比べると、ジャズ風味が強く、ブルース臭が薄いサザン・ロックです。すでに作曲の腕が評判だったトイが全曲を書いていて、これが素晴らしい。いきなり彼らの代表曲となる「テイク・ザ・ハイウェイ」、ヒットした「キャント・ユー・シー」。

 ゴスペル色の強い「マイ・ジーザス・トールド・ミー・ソー」、カントリー調の「ヒルビリー・バンド」、妻のアニーに捧げたバラード「ABズ・ソング」などなど、捨て曲なしのサザン・ロックの名盤はトップ30に入るヒットとなり、見事にゴールド・ディスクを獲得したのでした。

The Marshall Tucker Band / The Marshall Tucker Band (1973 Capricorn)