「ポスト邦楽の先端を行くハイパー箏奏者」八木美知依による「およそ箏の音とはおもえない!」「箏の概念をくつがえす!」ソロ・アルバムです。八木のソロ名義のアルバムとしては2001年の「Shizuku」に続く2枚目の作品です。

 まず八木美知依を写したジャケットが圧倒的に素晴らしいです。写真は人を撮ることに定評のある高木由利子、スタイリストはかつてのカリスマ・モデルの山口小夜子です。手に義甲をつけた姿がボンデージを思わせ、迫力がとんでもないことになっています。

 この当時、高木と山口は日本のアイデンティティを問い直す蒙古斑革命なるプロジェクトを実施しており、総勢32名のエッジな人々にインタビューを敢行していました。その中には灰野敬二や林英哲などと並んで八木美知依も含まれていましたから、その縁でしょう。

 アルバムのタイトルは「セブンティーン」。例の雑誌が思い浮かび、八木の想い出のアルバムなのかと一瞬邪推しましたが、さにあらず。これは八木が十七絃箏だけを使って作り上げたアルバムでした。十七絃箏による完全ソロ・アルバムです。

 十七絃箏はローマ字にすると八木美知依とそっくりな宮城道雄が1921年に考案した楽器だということです。その動機となったのは西洋音楽の影響を受けて和楽器の低音不足を感じたことだそうです。そのため十七絃箏は低音がよく出ます。

 プロデューサーであり八木のパートナーでもあるマーク・ラパポートは、八木のデビュー・アルバム「Shizuku」の中の「リメンブランス」を聴いてこの十七絃箏がいたく気に入り、この楽器だけでCDを一枚作ってはどうかと提案しましたそうです。これが本作品の発端です。

 それ以来、八木はライブで1時間にも及ぶ十七絃箏の即興ソロを弾くようになり、本作もその流れで制作される予定でしたが、八木の創作意欲が爆発し、スタジオ入りのちょっと前に何曲もの楽曲が作曲されていたということです。結果として全8曲入りの作品となりました。

 この中で意表をついて面白いのは、まず「ルージュ」。ジェネシス版クラウト・ロックのようなプログレッシブ・ロックを思わせる曲です。「絃に挟んだドライバー等をドラムスティックで叩いたり」して、「およそ箏の音とはおもえない」サウンドが美しいです。

 また「バイセクル・ライド」は八木美知依セブンティーンの自転車通学に発想を得た、本人曰くストレートなポップ・ソングです。美しいメロディーとベースラインは異なる十七絃を使っていて、音色がそれぞれ特徴的です。古く枯れた箏によるメロディーの音色の美しいこと。

 完全な即興は「末摘花」です。頑固な女性像が浮かび上がります。「私にとって海の色はいつも深緑、改装が揺らぐ深海」という「ディープ・グリーン・シー」、韓国のおしゃべりなお婆ちゃんとなった「ストーリーテラー」などなど、八木の手で十七絃箏が跳ね回っています。

 また録音が極上です。絃の振動を伝える空気まで聴こえてくるようです。その空気に耳を傾けていると、私の体内に宿る原始の世界を揺さぶられるようです。異種格闘技セッションもいいですが、八木のソロはやはり極上です。

Seventeen / Michiyo Yagi (2005 Zipangu)