「インド最強のタブラ奏者ザキール・フセインが96年にリリースした幻の宇宙音楽怪作」です。「奇跡の初日本盤化」に際して付けられたキャッチコピーです。ただし、インドでは決して幻ではなく、本作を含むエレメント・シリーズは最もよく見かけたCDではありました。

 エレメント・シリーズは、「火水土風空」の五大元素をインド音楽の巨匠5人が一つずつ担当して、腕を競い合うコンセプト作品です。出典はもちろんギリシャではなく、7世紀のインドの聖人バルトリハリの「ヴァイラギャシャータカ」からとられています。

 タブラの名手ザキール・フセインに割り当てられたのは「スペース」、「空」です。バルトリハリによれば「空は兄弟」に相当します。ちなみに地は母、風は父、火は友、水は親類となっています。ブラザーフッドらしく、ザキールの弟トーフィク・クレーシーも参加しています。

 私はザキールと同じステージに立ってランプ・ライティング・セレモニーを一緒に行うという幸運に恵まれたことがあります。一言二言言葉を交わしましたし、何よりもその神の手と握手できたことが忘れられません。もちろん彼の演奏は素晴らしかったですし。

 この作品が日本で発売されたのは、インドや中東の音楽の日本での伝道師たるサラーム海上氏が大騒ぎしたことによります。サラームの熱い語りがバッドニュース・レコードのディレクターの心を打ち、インドに飛んで直談判の末、実現に漕ぎつけたという曰くがあります。

 このエレメント・シリーズはインドの古典音楽にエレクトロニクスを加えてニュー・エイジに仕立てたもので、スピリチュアル音楽の大国インドらしい試みだと言えます。インドの古典芸能は必ずしも伝統墨守型ではありません。常に新たな時代に対応しているのです。

 ザキール・フセインの「スペース」には、ザキール、トーフィクの他に多くのミュージシャンが参加しています。まずは、弦楽器サーランギの巨匠スルタン・カーンの他にシタールやサロード、ムリダンガンなどのインド伝統楽器のプレイヤーたち。

 さらに、映画音楽のスコアを数多く手掛けたサリム・マーチャント、ヒットメイカー・チームのシャンカル・エヘサーン・ロイのシャンカル・マハデヴァン、プレイバック・シンガーのマハラクシュミ・アイヤーなどのボリウッド人脈が目を惹きます。

 アルバムは全部で4曲、いずれもインド古典音楽の要素をはらみつつも、一般的な古典音楽とは一線を画した、アンビエント的なクラブ・ミュージックとも言えるサウンドになっています。それも両者に媚びることのない、堂々としたサウンドです。

 特に、沫のようなリズムが延々と続く「ディープ・スペース」の陶酔感、ハンド・クラップが徐々に増えていき、次第に宇宙が立ち上がっていく「ゼン・オブ・スペース」は素晴らしいです。静かなところでも、空間には鳴っていない音までもが濃密に漂っているかのようです。

 最後の「ファイナル・フロンティア」はやや大仰なサウンドになっていくのですが、それも含めて約1時間の密度の濃い時間が堪能されます。聴き終わるまで息つく暇がない恐ろしいサウンドです。ザキールの作品では特異な位置にある大傑作です。

Space - The Elements / Zakir Hussain (1996 Music Today)