ヴァニティ・レコード発表の「ノイズ・ボックス」、第三番目にあたる電精KWANの「ポケット・プラネタリア」です。このジャケット写真に見覚えがあるのですけれども、どうしても思い出せず、とても居心地が悪いです。これ、有名な写真です。

 ジャケットは本人の意思でもなさそうなので、さておいて、電精KWANは福島市在住の斎藤英嗣によるプロジェクトです。アルバムにはアーティスト名と思しき部分に「toumei tushin-sarava tushin」と記載されています。「透明通信-サラバ通信」でしょう。

 再びプロデューサーの阿木譲の言葉を掲げます。「騙されてもいいから僕にカセット・テープ・ミュージックを送ってくれる時はアーチストの音楽コンセプトが僕は欲しい」。さらに続けて「抽象だけで快楽も得られるけど、いつか不安のどん底に陥とし込められるよ」と。

 言葉が必要だということです。ロック・マガジンの言葉遣いは独特なものがありましたけれども、抽象的な音楽に言葉の裏付けを与えようとする試みを続けていたのでしょう。この点に対してはさまざまに見解が分かれるところです。音楽と言葉。永遠のテーマです。

 電精KWANはカセットを送ってくるにあたって、「因果交流、電燈は少年のズボンの隠しでカチコチなる一箇のビー玉であります(ポケット・プラネタリーム概論)」というコピーを添えています。詩的なコピーですけれども、コンセプトを表していると思われます。

 稲垣足穂的だと阿木は指摘していますが、私はどちらかと言えば宮沢賢治的だと思いました。ビー玉が一つだけでカチコチなるのか疑問なしとしませんし、全体に意味をとりづらい一節ですが、サウンドを聴けば了解されてしまいます。これはなかなかうまいコピーです。

 電精KWANのサウンドは阿木の言葉を借りると「ホワイト・ノイズをこんなにうまくリズムにして黄色ラジカルと通じるようなセンシティヴな音楽だ。電子の舞踏と言うか躍動的な生のエナジーで満ちて」います。時に耳障りなノイズを使った音楽です。

 どんな楽器を使っているのかというと、これは表記がありませんけれども、恐らく短波ラジオであろうと思います。ネット検索していると同じ意見を表明するサイトもありました。この時代、夢中になって短波ラジオを聴いていた私にはとても心地よいサウンドです。

 そもそも1曲目は「透明なラジオ」ですし、電精は電波の精と読めます。2曲目の「pxtxc=1」はフランス語での会話だけで成り立っています。これがいかにもラジオっぽい。「ポケット・プラネタリア」も「プラスティック・ガーデン」もラジオのことだとしても何もおかしくありません。

 それに何よりこのノイズ。東西冷戦下の当時は規則正しい妨害電波が飛び交っていましたし、短波ラジオそのものにも周波数合わせの発振器がありました。電波の海にはありとあらゆすサウンドが漂っていました。それを作品にしたというのが正解でしょう。

 となると賢治であり足穂であっておかしくない。攻撃的なノイズもかそけき波もすべてが斎藤英嗣少年のズボンの隠しのビー玉に受信されたのでしょう。因果が交流する電燈のノイズすらも作品に埋め込まれているようです。当時のピュアな少年の懐かしい記録です。

Pocket Planetaria / Den Sei Kwan (1981 Vanity)