藤井郷子による還暦記念「月刊藤井郷子」第1弾です。例の写真誌っぽい名前なのが面白いですが、こちらは正真正銘、毎月CD作品をリリースしようという意欲的なプロジェクトです。演奏するだけなら難しくないでしょうが、録音して作品化するのは大変なことです。

 この作品は愛媛県の八幡浜市文化会館「ゆめみかん」にて行われた藤井郷子ソロ・コンサートの模様を録音したものです。「状態の良い素晴らしいピアノと、豊かな鳴りの音楽ホール、八幡浜ゆめみかん。ピアニストならだれでも垂涎の環境でのソロコンサート」です。

 私の地元にもありますが、地方の小都市には意外と音響の良い音楽ホールがあり、名器ともいえるピアノがあったりするものです。しかし、一般にメンテナンス予算確保に苦労しているのが実情ですから、こういうコンサートは大きな追い風になることでしょう。うらやましい。

 それもこれも松山市にお住いの音楽愛好家井谷満氏の尽力によるものです。彼が数々の課題を乗り越え、このコンサートの実現に邁進されたおかげで、演奏者も聴衆も、さらにはCDの聴衆も満足できる作品が残されました。まことにもってファンの鑑です。素晴らしい。

 課題の一つはピアノの内部演奏です。藤井はピアノの中の弦に直接触った演奏をするので、ピアノ担当者はたいてい嫌がります。実際に本人の演奏を見れば問題ないはずですが、フリー・ジャズと聴いてピアノを燃やした山下洋輔を思い浮かべたりすると...。

 このコンサートでの藤井は「突き抜ける透明感、息をのむ緊張感、ほとばしる疾走感」の三感演奏をしています。井谷さんがライナーに書いている通り、「ごりごりピアノを弾く藤井郷子を想定して聴きに来られたかたは、少し肩透かしを食った感があるかもしれません」。

 しかし、この日の慈しむような美しい調べは、800席の大ホールでピアノを味わうために300席に限定したという理想的なセッティングに最もふさわしいものであったと思います。全員でピアノを味わいつくす贅沢な催しです。

 藤井は「即興でのソロ、事前に何も準備せずに臨みました」と語っています。私は彼女に、逆に「作曲って何ですか」と聞いてみたことがあります。事前に譜面にすべてを書き起こすわけではないジャズですから、即興と作曲の区別が知りたかったんです。

 彼女の答えは、一音でも事前に書き留めていればそれは作曲、もっと言えば書き留めていなくても、事前にこういう感じで、と口に出していれば作曲かも、というものでした。今回の演奏は即興ですから、本当のノープランだったんでしょう。

 しかし、ここでは「ホールの美しい余韻は、演奏に余裕を与え、呼吸をするように弾いているうちに、自然にオリジナルの楽曲が顔をのぞかせました」としている通り、「ゲン・ヒメル」や「ナインピン」などの既往の曲が発露してきています。「リラックスして演奏できた」証拠です。

 とにかくこの作品での演奏は美しいです。井谷さんは「ジャズとかなんとかいう狭義な世界を超越した、あたらしくすばらしい音楽」だと書いています。ポスト・クラシカルな雰囲気も漂う面白い演奏に相応しい賛辞だと思います。

Solo / Satoko Fujii (2018 Libra)