日本のロックと聞いて真っ先に思い浮かべる作品の一つ、「カルメン・マキ&OZ」です。その歌声、演奏、メロディー、リズム、すべてが1970年代の「日本のロック」を体現しています。このアルバムを聴いておけば当時の「日本のロック」が分かるはずです。

 カルメン・マキと言えば、寺山修司の天井桟敷で舞台に立っていた女性ですけれども、お茶の間にその名をとどろかせたのはミリオン・セラーとなった「時には母のない子のように」を歌ったことでした。まだ子どもだった私にとってその姿は強烈な印象を残しました。

 その彼女が「ヒットの祝いと18歳の誕生日に」レコード会社からステレオと何枚かの洋楽レコードを貰います。「その中に不世出のロック・ボーカリスト、ジャニス・ジョプリンのレコード」、すなわち「チープ・スリル」がありました。これが「彼女の運命を変えます」。

 葛藤を経て、ロック・ボーカリストとして歩みを始めた彼女は「バンドを作っては、壊し」を繰り返しますが、1972年に結成したOZでようやく落ち着いて本格的なバンド活動を始めます。バンド名は「オズの魔法使い」からとられています。

 セルフ・タイトルのこのアルバムは結成から3年後に発表されたデビュー・アルバムです。バンド・メンバーはカルメン・マキとギターの春日博文以外は総入れ替えとなっています。落ち着いたバンドのはずでしたが、スーパースターがいるとそうもいかないのでしょう。

 春日は後にRCサクセションに加入したり、韓国にわたって活躍したりと多彩な音楽活動を繰り広げるギタリストです。アルバムのほとんどの曲を作曲しています。作詞はカルメン・マキと春日の同級生だった加治木剛が行っています。加治木は後のダディ竹千代です。

 この当時、ロックは日本では定着していたとはいえず、バンドは苦労を重ねますが、その努力のかいあって、日本のロックは次第に世間の認知を獲得していき、この作品は10万枚を越える異例の大ヒットを記録するまでになりました。そんな記念碑的な作品です。

 アルバムはAB面ともに、短めの曲2曲と10分を超える長尺の曲1曲ずつで構成されています。このうちアルバム最後の長尺の曲「私は風」がカルメン・マキを代表する名曲となりました。マキが作詞したドラマチックな構成の大曲です。

 まずはジャニス・ジョプリンを越えるべき目標と定めたマキのどすの効いたシャウトが素晴らしい。そして春日のヘビーなギター・ワークにプログレ的なオルガンと泣きのピアノ。すきのない構成でマキのボーカルを盛り立てます。日本ロック史上に残る名曲です。

 この曲は中森明菜を始め、数多の女性ボーカリストにカバーされた上、SHOW-YAによるアンサー・ソング「私は嵐」を発生させました。それほど世の女性に与えた影響は大きいものがあったということです。いわゆる「日本のロック」のプロトタイプです。

 1970年代ハード・ロックを忠実に日本の土壌に移植しているものの、特にリズム・セクションなどに日本のロック特有のノリが発生していますし、マキの演劇的なボーカルを含め、これぞザ・日本のロックです。日本育ちの私にはとても心地よいグルーブです。

Carmen Maki & OZ / Carmen Maki & OZ (1975 ポリドール)