英国パンクのルーツの一つはレゲエであるという事実のエッセンスを体現するエイドリアン・シャーウッドが最初のレーベル「カリブ・ジェムズ」に参加したのはまだ彼が17歳の頃でした。1975年のことです。ロンドンには確かにレゲエが息づいていたということです。

 その時に同レーベルから発表したのがプリンス・ファー・アイのアルバムでした。そのバックバンドを務めていたのが本作品のアーティストであるクリエイション・レベルです。このアルバムの時にはドラム、ベース、ギター、キーボード、メロディカの5人組です。

 1977年、彼らはツアーでイギリスに滞在します。その機を逃さず、エイドリアンは彼らに声をかけ、スタジオに招いて制作したのがこのアルバムということになります。この時にエンジニアをしていたのが、デニス・ボーヴェルです。彼は当時からダブのパイオニアとされていました。

 ちなみいデニスはバルバドス出身ですからジャマイカからは少し離れています。カリブの島々は歴史が錯綜しているので、島が違うとかなり文化も違います。もちろん音楽も違います。その意味ではデニスも元来よそ者です。だからこそのダブかもしれませんね。

 エイドリアンはデニスの作業を手本にして独学でダブを学んでいきます。「初期はエンジニアの隣でいつも叫んでいたんだ(笑)。エンジニアが『メーターが振り切っている』と文句を言うと、俺は『メーターを見るな!音を聴け!』とやり返すんだ(笑)」とかなり迷惑な人です。

 デニスにも「もっとベースを上げてくれ!」と叫び続けていたらしく、「デニスは俺のことをいかれたヤツだと思っただろう」と本人も自覚しているようです。アウトサイダーである彼の理想とするレゲエ・サウンドは、当時のイギリスの若者たちのレゲエ理解をよく示しています。

 ゆったりしたカリブ海ならではのサウンドは、大西洋を渡ってイギリスの寒々とした海辺に到着する頃には、すっかり冷え切ってしまい、骨格だけのサウンドになっていたように思います。とにかくその乾いたサウンドの骨格がイギリスの若者を魅了したのでしょう。

 このアルバムはエイドリアンが次に立ち上げたレーベルであるヒット・ランから発表されました。エイドリアンはカリブ・ジェムズで多くのミュージシャン達と出会ったことをきっかけに友人でもあったドクター・パブロと立ち上げたのがこのレーベルです。

 ドクター・パブロはクリエイション・レベルの一員で、メロディカを担当する素敵な在英ジャマイカンですから、最初のアルバムが彼らの作品であることは何も驚きではありません。エイドリアンにとってはデニスとの初仕事でもあり、習作的ですから、なおさらです。

 このアルバムは基本的にはインストゥルメンタル作品で、ちょっと不器用な感じもするルーツ・レゲエ的な緩さを併せ持ったダブ作品です。エイドリアンが叫んでいた通りに、ベースが徹底的に強調されています。そこに乾いたドラム、ひらひらするメロディカが乱舞します。

 当時のイギリスの若者文化の背景に流れていたレゲエとしてはパーフェクトです。ニュー・ウェイブ勢の多くのバンドにあるレゲエ要素は、ボブ・マーリーでもジミー・クリフでもなく、このアルバムでのクリエイション・レベルを持ってくるのが一番分かりやすいと思います。

Dub From Creation / Creation Rebel (1978 Hit Run)