ゴメスのデビュー・アルバムは「あい」、セカンド・アルバムは「し」でした。あれから4年、続編となる5枚目のアルバムが「てる」です。そう来るとは思ってもみませんでした。愛と死だと思っていたら、てる。あいしてる、でした。

 今さらそんなことを言うのはなんですが、このアルバムはキャンプファイヤーで資金集めをして作られました。目標金額は達成できませんでしたが、89%まで到達しています。おとといフライデーにも協力している私としては知らなくて参加できなかったことを悔やみます。

 ゴメスが19才の夏に制作された「あい」は「音楽を通して出会った人々に囲まれ、安心や幸せを知りつつも、それまで孤独に過ごしてきた毎日を呪うような気持と板挟みになり、やり場のない自分の気持ちを音楽へと素直に綴りました」というヒリヒリするアルバムでした。

 20才の冬に制作された「し」は「社会で綺麗にやっていく為にと隠し続けていたパニック等の症状が頻発し、心身ともに疲れ果てていました。そんな自分の弱いところを無理やり隠さないで、ありのままを見せることができたらと想い作ったアルバム」でした。

 そこから少し離れて他人に焦点を当てて作った前後編からなる「情景」を挟んで、いよいよ本作「てる」です。「今作は僕の中に眠る一番辛い記憶、悲しい気持ち、苦しい思いに焦点を当て、それらの苦しみを乗り越える渦中、幸せまでの道筋を示したい」とのことです。

 今回のアルバムのリリックの中で耳につくのはやはり「障害」です。♪障害者!♪と吐き捨てられるような言い方も出てきます。♪殺してやる♪とも響いてきます、ゴメス本人の言葉通り、彼の中に眠る辛い体験が赤裸々に提示されてきます。

 アルバムの冒頭は♪ねえ誰 この体は一体 誰♪で始まり、全11曲に言葉がこれでもかこれでもかと詰め込まれています。それが一々重い。ゴメスのラップはポエトリー・リーディングのようでいて、しっかりとラップになっているというヒップホップ臭くないスタイルです。

 そのスタイルが言葉にぴったり合っています。圧倒的な説得力が生まれてきます。アルバム中には彼の辛い体験が重くのしかかってきます。100%理解することなどできないわけですけれども、エッセンスは凝縮されて伝わってくるんです。

 今回は自分で自分を終わりにする目論見ですから、より言葉が直截です。その創作意図は「幸せに困惑し」た「あい」と「不幸を呪」った「し」を経て、「幸せを受け入れる為の。あるいは不幸を覆す為のメッセージを込めて作ります」というものです。

 アルバムの最後は♪普通のことが普通じゃなくなってく それも普通だなあって今は思う♪と締めくくられます。目覚ましい最後というわけではないところがリアルです。大団円とはいかないものの、社会と折り合いがつくようになった姿が眩しいです。

 神聖かまってちゃんのの子やレーベル・オーナーのパラネルなどが参加するトラックもゴメスの言葉に寄り添って愛が溢れています。このトラックとの相性の良さも三部作の終焉に相応しいです。ゴメスとその仲間たちのコラボの強度が増していることが何よりの光に見えます。

参照:【GOMESS】5thアルバム「てる」制作プロジェクト(キャンプファイヤー)

Teru / Gomess (2019 Low High Who?)