日本のアングラ音楽界の重鎮、灰野敬二のソロ・デビュー作品「わたしだけ?」です。伝説のインディーズ・レーベルであるピナコテカ・レコードから発売されたものですが、灰野のファンでもあったモダーン・ミュージックからCDでの再発もなされました。

 灰野敬二はこの時28歳、すでにロスト・アラーフや不失者としての活動や、マジカル・パワー・マコ、阿部薫、武満徹との活動などでその世界では広く知られた存在でした。当時の彼の発言は尖がっていて、私はちょっと苦手ではありました。

 しかし、インディーズ・マニアだった私はピナコテカからの作品だというだけでとりあえず買ってみることにしたのでした。灰野の音楽に触れたことはそれまで全くありませんでしたが、こういう時に、思いがけない幸福な出会いが待っているものです。

 私はこのアルバムを一生忘れないだろうと思います。ほぼ40年経つ今でも、我執に悩まされる時には♪自分を自分で終わりにさせろ♪と灰野敬二の声が頭の中に響いてきます。魂を操る司祭の慈愛に満ちた音楽が鳴り響いてくるんです。

 一難去ってまた一難という事態に立ち至った時には、♪つきぬけても つきぬけても 又同じ あなた♪です。こういう聴かれ方を想定していないのではないかと思いますけれども、魂に刻み込まれたものですから仕方がありません。私の人生の友です。

 灰野と言えばアヴァンギャルドな轟音ノイズという噂でした。しかし、灰野一人で作り上げたこのアルバムにはノイズ系のギターはほんの少ししか登場しません。まるでギターを撫でたり、やさしく叩いたり。灰野のギターは一音一音を慈しむようなプレイです。

 そしてボーカルはその場で彼の意識がしみ出してきたかのような言葉が短いフレーズで絞り出されるように歌われます。本人曰く、「俺にとっては『コンテンポラリー・カントリー・ブルース』なんだよ」。確かに納得できる気がします。

 このアルバムを聴いていると何だか恥ずかしくも感じます。自分が裸で歌っているような生々しさを感じるんです。体を裏返しにされて、内臓の粘膜で世間と接しているようなそんな生々しさを我が事のように感じてしまいます。原初の歌とはこういうものでしょう。

 ジャケットがまた素晴らしい。パンク写真家佐藤ジンによる写真を本人は金銀で刷りたかったそうですが、お金がかかるとして却下されたそうです。アナログ再発で願いがかなったようですが、私はこの黒が好きです。これ、貞子のモデルになった説をここで唱えてみます。

 ところで、この作品がCDで再発された際、ボーナス・トラックが2曲収録されました。そのうちの1曲が約30分に及ぶ轟音ノイズの嵐です。これこそが当時の灰野のトレードマークのようですけれども、これは私には余計です。このアルバムには手を加えてほしくなかった。

 それほど私にとってこのアルバムは大事な作品の一つです。真っ暗闇の中で、「ギターを手探りで何もないところからそれぞれ違う一音を見つけて、音楽を全く無から作ろうと思っていた」。そんな神々しいアルバムです。存在と存在学との内緒話なんです。

参照:Jazz Tokyo #156 灰野敬二:デビュー・アルバム『わたしだけ?』を語る(剛田武)

Watashi Dake? / Keiji Haino (1981 ピナコテカ)