このアルバムをもってスティーリー・ダンは一旦活動を休止しました。復活は約20年後ですから、断然最後のアルバム扱いしてよいと思います。20年の月日は子どもが成人するくらいの隔たりですから、別のバンドと捉えてもおかしくはありません。

 彼らは前作「彩(エイジャ)」に引き続いて、本作品でもグラミー賞の最優秀録音賞を獲得しました。とても彼ららしい勲章です。最優秀アルバムでもなく、録音賞です。ウォルター・ベッカーとドナルド・フェイゲンのこだわりが形となった出来事でした。

 スティーリー・ダンは、一流のスタジオ・ミュージシャンを駆使してサウンドを組み立てるという、バンド幻想に囚われていた人びとにとっては考えもできなかったことをやってのけました。しかし、考えてみればソロ・アーティストはみんなそうです。特に彼らが新しいわけでもない。

 むしろ、画期的だったのはベッカー=フェイゲンに、プロデューサーのスティーヴ・カッツ、そしてエンジニアのロジャー・ニコルスを加えた四人がチームを組んだということです。それまでのプロデューサー、エンジニアとアーティストの関係とは異なるフラットなチームです。

 参加アーティストはどんどん変わってもこの4人の顔ぶれは一切ぶれませんでした。彼らの場合はたまたまエンジニアのチームが声と作曲能力を持っていたということだと考えると多くのことが腑に落ちます。そこがグラミー賞も評価するポイントだったと思います。

 これまで順調なペースでアルバムを発表してきた彼らが本作品には録音だけで2年をかけています。その間に、ベッカーの麻薬中毒は悪化し、事件に巻き込まれますし、アシスタント・エンジニアのミスで完成した曲が消されてしまったりと不幸に襲われます。

 さらにベッカーは交通事故で長期入院するなどの災難もあり、「『ガウチョ』は絶望と言う名のドキュメント作品と言ってもいいかもしれない」とフェイゲンは嘆いています。こういう状況での長期にわたる録音となると、サウンドへのこだわりがさらに極限まで強まりそうです。

 案の定、前作のサウンドをさらに磨きに磨き抜いたサウンドになりました。日本酒造りに例えると、精米歩合が39%から23%へとさらに進んだようなものです。どちらも純米大吟醸ですけれども、その中でも磨きが進んだもの。唯一無二ですから、8%くらいかもしれませんね。

 贅肉はそぎ落とされ、もはや参加ミュージシャンの個性も磨き落とされているように感じます。本作にはロジャー・ニコルス制作のデジタル・シークエンサーが導入されました。最後は機械に行き着くという意味で象徴的な出来事だと思います。

 参加ミュージシャンは前作同様ビッグ・ネームが揃っており、もはや並べて紹介しても詮無いことです。当然きっちりした演奏ですし、音色の一つ一つが麗しい。楽曲も「ヘイ・ナインティーン」に「バビロン・シスターズ」を始め粒ぞろい。プラチナ・レコードに輝きました。

 やり過ぎの感が強く、もはやポスト・ロック・サウンドそのものになるまでに昇華されています。明るいポップな外見を一皮むけば機械の狂気が見えてくる、そんな恐ろしい作品です。それが「ガウチョ」という可愛いタイトルで発表される。いい時代でした。

Gaucho / Steely Dan (1980 MCA)