スティーリー・ダンの作品にはそれぞれが彼らの最高傑作であると主張する人たちがいます。このアルバムももちろん例外ではありません。熱心なファンの方は、次作の「彩」のもてはやされぶりに嫉妬する傾向があることも一因となっているきらいもあります。

 本作品はスティーリー・ダンの5作目のアルバムで、前作同様にヒットしましたし、「ハイチ式離婚」という英国ですがトップ20入りするシングル・ヒットも生まれました。しかし、次作「彩」の大成功によって影が薄くなってしまったために過剰防衛に走る人がいるということです。

 「幻想の摩天楼」という邦題はジャケットのイメージからレコード会社が名付けたものと思います。原題とはほとんど関係ありませんけれども、すべての楽曲に邦題がつけるほどの気合はやはり尊く、見事にアルバムの価値を高めることに成功しています。

 どういうことかというと、この邦題のおかげで、この作品がコンセプト・アルバムに見えてくるんです。前期の勢いとも、後期の円熟とも少し違う、世間を斜めに切ったような感覚が横溢するサウンドですし、皮肉に満ちた歌詞を眺めていると幻想の摩天楼が浮かび上がります。

 前作からバンドと決別したベッカー=フェイゲン組は、いよいよ何の懸念もなく好きなミュージシャンを呼び寄せてレコーディングに励みました。面白いのは意外にメンバーが固定されていることです。言われるほどとっかえひっかえではありません。

 大友良則氏はライナーノーツに、ベッカー=フェイゲンの二人が「セッションという言葉がイメージする音からは程遠い音、つまり、レギュラー・バンドの音に限りなく近い音を求めてやまない人たちであるに違いない」と書いています。

 通常のバインド形態はとっていなくても、二人はプロデューサーになったわけではなく、バンド的なサウンドにこだわっていたということです。大たい、完全にソング・ライティングとプロデュースに徹するのであれば、ドナルド・フェイゲンのボーカルにこだわることはありません。

 ギターのディーン・パークスは、二人について「完璧ということを通り超して、自然になるまで、即興でやっているように感じられるまでやるんだ」と語っています。それを指して完璧というのではないかとも思いますが、目指しているのはバンド・サウンドであることは分かります。

 その意味でのバンド・サウンドを確かに本作品では強く感じます。それにはギターを多用していることも大きいです。ここではディーン・パークス他、オリジナル・メンバーのデニー・ダイアス、デビュー作で活躍したエリック・ランドール、そしてラリー・カールトンが参加しています。

 さらにウォルター・ベッカーその人もギターを弾いています。日本でも有名なフュージョン・ギタリスト、ラリー・カールトンは単なるギターを越えた貢献をしている模様です。やはりギターが活躍するとロック色が強まりますし、やさぐれた感じがしてきます。

 相変わらず隙のないサウンドながら、円熟に向かうというよりも攻撃的なサウンドを展開するスティーリー・ダンです。確かにこのアルバムを最高傑作という人がいることは理解できます。「幻想の摩天楼」に展開される苦悩に満ちた生を感じるアルバムです。

The Royal Scam / Steely Dan (1976 ABC)