塩田千春のインスタレーション作品「不確かな旅」には圧倒されました。会場いっぱいに張り巡らされた真っ赤な糸が紡ぎ出す空間に立っていると、まるで塩田の体内にいるような生暖かな感覚に包まれました。魂はふるわされ、不覚にも涙が込み上げてきました。

 塩田は自分の作品のことを、「どうにもならない心の葛藤や言葉では伝えることができない感情、説明のつかない私の存在、そのような心が形になったもの」と表現します。森美術館で行われた塩田の「魂がふるえる」企画展にはそんな作品が蝟集していました。

 そこでも展示されていた一際目を惹く作品に「静けさの中で」がありました。この作品は焼けたピアノと焼けた観客用の椅子を配置し、黒い毛糸がそれらも含めて空間を埋め尽くしている作品です。燃えた隣家跡に焼けたピアノが佇んでいた幼少時の記憶から制作されました。

 この作品は2007年にも神奈川県民ホールギャラリーで行われた塩田千春展でも展示されています。まさにそのインスタレーションが展示された部屋で、焼けたピアノの隣にピアノを置いて演奏されたのがこの作品「空間へのオマージュ」です。

 アート・コンプレックスと題された企画の一部で、演奏者は現代音楽の作曲家として有名な一柳慧、これまた現代音楽を得意とするピアニスト寒川晶子、ボイス・パフォーマーとしても有名ながら、ここではエレクトロニクスを操る足立智美の3人です。

 曲は全部で4曲、1曲目がモートン・フェルドマン作曲の「2ピアノ」で、一柳と寒川の二人が2台のピアノで演奏しています。2曲目は一柳作曲の「タイム・シークエンス」でここは寒川がソロ・ピアノを聴かせます。後半部の盛り上がりが素晴らしいです。

 3曲目はミハウ・オギンスキのポロネーズを一柳が編曲したもの、4曲目は40分弱に及ぶ即興演奏で、いずれも3人での演奏となっています。即興演奏では、足立はコンピューターによる音響処理をリアル・タイムで行うという形でのパフォーマンスを行っています。

 さらにこの曲では「寒川による電子オルガンの持続音」や、「一柳による複数のメトロノーム操作」、「足立による創作楽器『トモリング』の音」を加えて、音色を多彩にしています。モノクロ・セットなのにカラフルな演奏が噴出してきます。

 一柳はその意図を「塩田千春の空間のインスタレーションに対して、時間芸術である音楽の観点からアートの複合化した、時間と空間が相互に浸透し合う総合的演出」と説明しています。そして、「音楽自体の空間化も取り入れられている」ということです。

 塩田の作品が「音の出ないピアノは沈黙を象徴しながらも、視覚的な音楽を奏で」ると説明される一方、一柳は音楽を空間化するというのです。いわば両側からお互いの領域に越境しているわけですから、これはまさに対決です。

 残念ながら私は別々に経験してしまいました。わずかに写真で両者の対決を偲ぶのみです。これはやはり現場に居合わせたかった。塩田の生々しい空間が、とりわけ焼けたピアノが共鳴したのかどうなのか、ぜひとも確かめてみたかった。

参照:森美術館HP

Live Document "Hommage for Space" / Toshi Ichiyanagi, Akiko Samukawa, Tomomi Adachi (2008 Omega Point)