「リキの電話番号」の不思議なイントロには心を奪われました。全米4位の大ヒット曲だということで、日本にも伝わってきたこの曲によって私のスティーリー・ダン熱が再発いたしました。というか、2枚目の記憶がまるでありません。飛んでいます。

 まあ、このアルバムの次の記憶は「彩」なので、要するにアメリカで大ヒットした場合のみ知っているということです。スティーリー・ダンの当時の日本での人気のあり方はそんなものだったんじゃないでしょうか。記憶は後に更新されていますから、変な気もしますけれども。

 本作品はスティーリー・ダンの3枚目のアルバムです。前作が期待したほど商業的に成功しなかったことから、ウォルター・ベッカーとドナルド・フェイゲンのコンビニも背水の陣だったのではないでしょうか。このアルバムからはバンドがほぼ解体しています。

 この時点ではまだスティーリー・ダンは5人組のバンドでした。実際、儲けはメンバーで頭割りにしていたそうで、セッションに呼んだジェフ・ポーカロの週給の方がメンバーよりも高いという貧乏バンドぶりを二人は嘆いています。作曲印税はどうしていたんでしょうかね。

 しかし、本来はドラム担当のジム・ホッダーは1曲でバッキング・ボーカルを務めるだけです。このアルバムでドラムの大半を叩いているのはジム・ゴードンです。ベッカーとフェイゲンが初めてABCスタジオを訪れた際に彼のドラムを目撃して感動したという逸話があります。

 ジェフ・バクスターは一人気を吐いていますけれども、このアルバムのサウンド作りで主要な役割を果たしているのは二人がLAキャッツと呼ぶ、ロスアンジェルスの一流スタジオ・ミュージシャンです。バンドメイトからの不満もあったようですが、ここに転換は果たされました。

 1枚目も2枚目もスタジオ・ミュージシャンの活躍が目立っていましたけれども、このアルバムでは、ベッカー・フェイゲンの世界を表現するにあたって明らかに主たる役割を担うようになりました。バンドへのこだわりを辞めればこんなに楽になるというコロンブスの卵でした。

 中でも特筆すべきはヴィクター・フェルドマンです。思い起こせばデビュー・ヒット「ドゥ・イット・アゲイン」のパーカッションもフェルドマンでした。「リキの電話番号」のイントロで演奏されるフラパンバという楽器も彼です。もうこの2曲だけで胸がキュンとするというものです。

 さらにデヴィッド・ペイチにジェフ・ポーカロのTOTO組、ディーン・パークスにマイケル・オマーティアンと錚々たる顔ぶれです。ただし、パークスもオマーティアンも代表作にスティーリー・ダンの作品が取り沙汰されるという見事なウィン・ウィンぶりです。

 アルバムはジャズよりの前作に比べると、より独自の音楽センスが光るサウンドになりました。デューク・エリントンの「イースト・セントルイス・トゥードゥル・オー」の輝かしいカバーはジャズど真ん中ですけれども、その他の楽曲がそれぞれが独自の世界を醸し出しています。

 たとえば、小倉エージ氏はライナーにて、スティーリー・ダンのアルバムでたった1枚好きなアルバムを選べと言われれば迷わず本作を選ぶとしています。練り上げ度は高いものの、まだ後の完璧主義は発揮されておらず、若干隙が感じられるのが人気の秘訣でしょうか。

Pretzel Logic / Steely Dan (1974 ABC)