「禅の僧侶による『共鳴箱』」のキャッチフレーズとともに届けられた佐藤薫のフォノン・レーベルからの作品です。禅の僧侶はヘテロデュプレクスこと五十嵐義秀、1999年から現役の禅寺の住職だそうです。お寺は臨済宗です。

 てっきり禅僧が音楽を始めたのかと思っていましたが、そうではありません。五十嵐義秀は音楽家から禅僧になった人です。「このままからそのままへ」という禅の世界だからではありませんが、この順番の違いで受ける印象は大きく異なります。

 五十嵐は1980年代中ごろに活躍したサディサッズやニウバイルなどのバンドでギタリストをしていました。硬質なビートで異彩を放ったサディサッズは私も良く聴いていました。箱入り二枚組アルバムはとてつもなくカッコよかったです。

 レーベル・サイトによれば、五十嵐は「1990年より京都の禅林にて仏道修行を始め」て、やがて禅寺の住職になりました。ヘテロデュプレクスとしてのソロ活動開始は2018年のことです。そこから1年でアルバム発表に至るとは。昔取った杵柄なんですね。

 本作品は五十嵐が「修行の傍らにアジアの聖地を巡って録りためたフィールド・レコーディング素材のコラージュと、親しんできた電子楽器のミクスチュア」を収録したものです。ギタリストの顔はここでは表に出さず、アンビエント的な音像が漂っていきます。

 フィールド・レコーディング素材としては女性によるチャントのようにあからさまなものもありますけれども、多くは音のテクスチャーの中に織り込まれていて、自己を主張せずに楽曲に身を任せています。極めて洗練された使い方であろうと思います。

 禅僧らしく、仏具を使ったと思しき楽曲もあります。「アンティル・ウィ・ミート・アゲイン」がそれです。さすがに仏教を意識せざるを得ない曲ですけれども、他の楽曲はさほど禅僧であることを思わせません。むしろ、アルバムのコンセプト全体に禅的仕掛けがあるようです。

 タイトルは禅語の「離却語言」を表すそうです。「言葉を発せず沈黙せずとも、離(主体)と微(客体)が一つになることは無い」という意味です。初期EP-4のメンバーでもあった仏文学者鈴木創士はライナーにて「朕兆未萌」を持ち出しています。

 さらに鈴木は「音は鏡に反射し、水には水月が映っている」と帯に記します。本作品は全体が禅の公案である、という了解があるのでしょう。「非ニューエイジ」を標榜して、安易なスピリチュアルを排し、圧倒的な現実を生きる禅僧の面目躍如です。

 フォノン・レーベルはババケもそうでしたが、佐藤薫自身も活躍していた80年代のアーティストの現在をしっかりと支えています。それも決してノスタルジーに走るわけではなく、あくまで現役としての彼ら。大変すばらしいことですし、応援のしがいがあるというものです。

 おかげで同時代に青春を過ごした私には、ヘテロデュプレクスの音楽もとても耳に馴染みます。殊更に新奇な音を求めるのではなく、そのままを掘り下げていく、そんな音楽。現役ばりばりではありますけれども、安心して耳を傾けることができる、そんな音楽です。

Without Words, Without Silence / Heteroduplex (2019 ϕonon)