まるで温泉旅館のイリュージョン・ショーのバックグラウンドで流れているようなイエロー・マジック・オーケストラの音楽が日本のポピュラー音楽を変えてしまうことになるとは、当時の私は迂闊にも全く気づきませんでした。恐るべきことです。

 本作品はイエロー・マジック・オーケストラとしてのデビュー作を米国にてリミックスして全世界に向けて発表されたアルバムです。アルファ・レコードと米国の大手A&Mが契約を交わした際に構想された、日本のバンドの世界進出第一弾です。

 立役者はトミー・リピューマ、ジョージ・ベンソンの「ブリージン」をヒットさせた副社長です。彼の来日に合わせて開催されたアルファ・フュージョン・フェスティバルにて、本命ではなかったYMOに惚れ込んだことから実現したということです。

 言うまでもなく、YMOは細野晴臣、高橋幸宏に坂本龍一の3人によるスーパーグループです。特に細野ははっぴいえんどやティン・パン・アレーなどで活躍していた大ベテランでしたから、当時の認識ではベテラン勢がコンピューターを使って頑張っているというものでした。

 パンクないしはポスト・パンクの時代でしたから、ベテラン・ミュージシャンというだけで色眼鏡で見てしまいがちでしたし、そこに輪をかけるエキゾチックな佇まい。コンピューターを使ったサウンドとて耳慣れないわけでもなく、何とはなしに別世界の出来事のようでした。

 一方で細野の若い頃を知る人々からはコンピューター音楽に走る細野に対してあまり好意的な反応は示されず、事実このフェスティバルでも「どよーんとした反応」がかえって来て、細野自身も驚いたそうです。何となく日本に居場所がない感じでした。

 そこへ起死回生のアメリカ進出です。リピューマはYMOにディスコを見たのだそうです。時はディスコ・ブームの真っ只中、YMOは売れると確信したリピューマによって、見事に本作の全米発売と相成り、そこそこのヒットも達成することに成功しました。

 日本には「クラフトワークが脱帽し、ディーボが絶賛したイエロー・マジック・オーケストラ。音楽における21世紀派の幕開けを告げた注目のファースト・アルバム」として逆輸入され、敬遠気味だった日本の聴衆をねじ伏せることになりました。

 これまで多様な音楽活動を続けてきた三人が、「3人で作ることによって、不確定なものを出したい」とパーマネントなグループとして活動を始め、コンピューターを面白がって使いまくったというのが本作の次第のようです。とにかく何だか楽しそうです。

 電子音楽とは言っても、高橋のドラムと細野のベースが背骨にあって目立つので、いわゆるピコピコなテクノ・サウンドとは一線を画しています。そこがベテランっぽいのですけれども、大きな魅力です。名曲「東風」にしても「中国女」にしても軽いけれどもどっしりしている。

 「メカニカルなものを作ろうとしたわけじゃなくて、機械でなければ出せない音を機械に出させただけなわけです」と細野が語るとおり、コンピューターが主役ではなくて、あくまで三人が主役を張る電子ポップ、しかもディスコ。言われてみればなるほど面白いです。

Yellow Magic Orchestra / Yellow Magic Orcchestra (1979 Alfa)