ポール・サイモンの起死回生の一発、ポップス史上に残る名盤「グレイスランド」です。前作が商業的に失敗に終わりましたし、S&Gの復活は長続きしませんでしたし、その人気に翳りが出てきていましたが、本作品の特大ヒットでポールは再びスーパースターとなりました。

 本作品はこれまでのポールのアルバムと異なり、南アフリカのミュージシャンを始めとするいわゆるワールド・ミュージックでアルバムを丸ごと作ってみましたという作品です。アルバムの曲の半分は南アフリカ共和国のスタジオで録音された音源を使っています。

 このため、本作品は毀誉褒貶の激しい作品となりました。当時の南アフリカ共和国はそのアパルトヘイト政策によって、西側諸国からはつまはじきにされていました。反アパルトヘイトのキャンペーン・ソング「サン・シティ」は1985年の発表でした。

 ポールの行為はボイコット破りではないかという批判が巻き起こりました。決して体制側でもない黒人ミュージシャンの起用がどうしてそういう批判を生むのかぴんと来ませんが、大きな論争になり、国連の反アパルトヘイト委員会がポール支持を表明するに至りました。

 もう一つの批判は文化的な搾取ではないかというものです。これはアリアナ・グランデが日本語を使っただけで批判される現状からすると分かりやすいです。日本ではずっと昔から世界の大衆音楽に入れ込んでいた中村とうよう氏がその急先鋒でした。

 「アフリカ各地からミュージシャンを集めておいて何もやらせない」、 「第三世界に理解あるポーズで評判だけ自分のものにしよう、そこがズルい」と散々です。確かにどこをどう切ってもポール・サイモンの曲でしかないので、とうよう氏の言い分も分からないではないです。

 こうした批判はあるものの、本作品への世評は高いです。まだワールド・ミュージックという言葉が一般化していない時代に、ともかくも南アフリカのジャイヴなどを身近なものにしたわけで、そこは一貫したポールの姿勢です。それが大成功を収めました。

 参加しているのは南アフリカのレディブスミス・ブラック・マンバーゾやボヨヨ・ボーイズなど当時聴いたこともなかったアフリカのミュージシャンや、その陰に隠れて目立ちませんが、アメリカ南部のザディコを奏でるグッド・ロッキン・ドプシー&ザ・トウィスターズなどです。

 テックス・メックスのロス・ロボスも参加していますし、後に有名になるセネガルのユッスー・ンドゥールもボーカルではなくパーカッションを叩いています。同時期のピーター・ガブリエルの「SO」ではユッスーの歌声が世間を震撼させましたので、そこはちょっと残念です。

 こうしたミュージシャンの演奏にエイドリアン・ブリューなどによるスタジオ・ワークを組み合わせてサウンドが完成しています。南アフリカのミュージシャンたちも後に一緒にツアーを行ったりしていますから、双方にとって良い経験であったことでしょう。

 本作は1000万枚を軽く超えるヒットですし、タイトル曲はグラミー賞の最優秀レコード賞も受賞しました。どこからどう聴いてもポール・サイモン節なのですけれども、新たな出会いはポールを覚醒させたことは間違いないところです。

参照:「ロックが熱かったころ」中村とうよう

Graceland / Paul Simon (1986 Warner Bros.)