ほぼリアル・タイムで聴いていたアルバムです。数十年ぶりにじっくり聴き直してみて、一番覚えていた曲が「母と子の絆」でも「僕とフリオと校庭で」でも「ダンカンの歌」でもなく、地味な「パパ・ホーボー」だということに気づいて我ながら驚いてしまいました。

 何が印象的かというと、その歌詞です。いきなり♪一酸化炭素♪ときました。アメリカの歌というのは、こんな言葉を歌ってもいいんだと、日本の歌謡曲の常識に囚われていた私にはとても新鮮な驚きを与えてくれたのでした。一酸化炭素!!

 サイモンとガーファンクルは1970年に「明日に架ける橋」を発表して以降、デュオでの活動を休止し、ポール・サイモンはソロ活動を開始します。それから1年余りにしてようやく届けられたのがセルフ・タイトルの本作品、実質的なソロ・デビュー作です。

 本作を制作するにあたって、ポールはサイモンとガーファンクルのプロデューサーだったロイ・ハリーとの共同作業を志向しました。二人の息はピッタリでしたから、まずは無難な選択だと言えます。結果はいかにもS&Gの音楽を主導した二人による作品となりました。

 S&Gのサウンドとは大きく異なる作品だと一般的に言われているようですが、「明日に架ける橋」での音楽的な指向を考えると、ロス・インカスはもちろんのこと、レゲエの導入も何も驚くべきことではありません。ポールの嗜好を素直に反映した作品です。

 しかし、アート・ガーファンクルと一緒にやらなくてもよいというのは大いなる解放だったことでしょう。ここではその制約が外れたことによって、より自由度が増したことは確かなことです。それに大成功のおかげで対レコード会社でもやりたいことが出来たことでしょう。

 本作品は、まず白人アーティスト初のレゲエ・ヒットと言われる「母と子の絆」で始まります。確かにレゲエなのですが、当時はそんな解説をしてくれる人もおらず、私は本作がレゲエであることは随分後になって知ったという間抜けな経験をしています。

 同じくシングル・カットされた「ダンカンの歌」が続きます。こちらはロス・インカスをバックに起用した南米の香り漂う曲です。さらにシングルもう一曲「僕とフリオと校庭で」でも「ビッチェズ・ブリュー」のアイアート・モレイラがブラジルのクイーカを演奏しています。

 「明日に架ける橋」でみせた路線の延長だとは言え、自由度は格段に上がっています。それは共演するミュージシャンの贅沢な使い方に現れます。最たるものはヨーロッパの至宝ステファン・グラッペリとのわずか1分半の共演です。なんとまあ贅沢な。

 他にもさりげなくロン・カーターのようなジャズの大物やS&Gの頃から共演しているデヴィッド・スピノザ、ラリー・ネクテルなどの一流セッション・ミュージシャンまで。大作を志向するのではなく、ソロとしての再出発を軽く寿いでみたといった風情が感じられるアルバムです。

 それゆえに傑作の呼び声は高くないものの、ポールのファンが愛してやまないアルバムになっています。日本や英国では1位、米国でも4位となる大ヒットとなり、さらには歴代ベスト・アルバム選などでも絶妙の位置に登場する心憎いアルバムです。

Paul Simon / Paul Simon (1972 Columbia)