前作「ホーリー・スモーク」発表から3年、ピーター・マーフィー待望の新作「カスケード」はようやくその陽の目を見ることになりました。落ち着いたアルバムになりましたけれども、この3年間にはマーフィーには大きな変化が訪れています。

 まず、前作のツアー終了後、長らくマーフィーのバック・バンドを務めていたザ・ハンドレッド・メンが解散してしまいました。ただし、ポール・ステイタムのみは本作でも引き続きマーフィーのソング・ライティング・パートナーを務めています。

 本作発表後のツアーにはステイタムは参加せず、本作には参加していないベースのエディー・ブランチが参加するという不思議なことになっていますから、バンド解散の経緯はどういうものなのかよく分かりません。

 それよりも大きな変化はマーフィーのトルコ移住です。巨匠ダリにおけるガラに比べられるマーフィーのパートナーはトルコ出身の方ですから、唐突な話というわけではありません。これまでの彼の音楽には中近東趣味が顔を出してもいました。

 マーフィーはトルコでカルチャー・ショックを受け、ロンドンでのメディアの砂地獄から救われて、魂の安寧を感じることになります。本人曰く、「ア-ティストであるということに囚われる必要はないし、アーティストとしてのセルフ・イメージを持つ必要もない」。

 「結局のところ曲は出来上がるものだ。必ずしも外部からの刺激に影響されないとても静かな場所からアートは湧いてくる」という彼の信念を確かめることとなり、それは「最初のバンドを始めた時のような無邪気な純粋さを再発見したようなものだ」ということです。

 恐るべしトルコ。この作品のトルコらしさはほぼジャケットに凝縮されています。サウンド面では以前のアルバムの方がよほどトルコっぽい。そこに彼のトルコ体験の真摯さを見ることができます。トルコの外見ではなく、その内奥に触れたということです。

 本作品では1曲を除きすべてマーフィーとステイタムの共作となっています。プロデュースはベルギー生まれのミュージシャン、パスカル・ガブリエルが担当しました。パスカルはこの当時、EMFやインスパイラル・カーペットなどのバンドに関わっていた人です。

 録音場所はトルコではなくスペインです。参加しているゲスト・ミュージシャンの中では、マイケル・ブルックが一際目を惹きます。デヴィッド・シルヴィアンとロバート・フリップのツアーに参加していたインフィニット・ギターの発明者です。

 アルバム自体はとても落ち着いた深みのある作品になっています。シングル・ヒットしそうなキャッチーな曲があるわけではありませんけれども、そうした喧騒とは別のところでしみじみと心に響きます。私としてはこういう作品を大人のロックと言いたいです。

 ようやくバウハウスの名前を思い出さずに済む作品になったと思います。余計なことを考えずに自分と向き合い、自然に湧き出てきた音楽だということがよく分かります。スーフィーに改宗したという話も伝わっています。奥さん一筋の心の安寧はまことに尊いです。

Cascade / Peter Murphy (1995 Beggars Banquet)