「ティーチャー・ドント・ティーチ・ミー・ナンセンス」はフランスのレーベル、バークレーから発表されました。同レーベルからは、同時期にヴァネッサ・パラディの「恋するタクシー」が発表されています。何とも面白い取り合わせです。

 この作品はフェラ・クティが20ヶ月にも及ぶ投獄生活から解放されてから制作された初めてのアルバムです。バークレーから発表ということもあるのでしょう、プロデューサーとして、ウォリー・バダロウが迎えられました。

 ウォリーはベナン出身の両親を持つフランス人ミュージシャンで、アイランド・レコードの有名なコンパス・ポイント・オール・スターズの一員として、同スタジオで制作された多くの作品に係わったシンセサイザー奏者です。レゲエとも馴染みが深い。

 ビル・ラズウェルのプロデュースに激怒したフェラは、明らかに外部プロデューサーを嫌がっており、ウォリーもちゃんと紹介すらされなかったようですが、ウォリーが整理したサウンドは大いに気に入ったそうです。その秘訣はプロデュースしないことだとウォリーは語ります。

 アルバムはわずか二日で録音されました。ベーシックなトラックに、フェラのサックスを含むオーバーダブが行われ、ウォリーはフェラの面前でとにかく何も隠すことなく作業を続け、フェアに気持ち良く感じてもらうことだけを考えていたとのことです。

 一聴して分かるのはホーンのサウンドです。アフロ・ビートのねっとりとした粘っこい武骨なホーンが、ここではオーケストラのようにきっちりと整理されており、それでいて力強さは失われていないという奇跡のようなサウンドです。

 このホーン陣に引っ張られるように、バンドのサウンド全体がしゅっとしています。特に二曲目の「ルック・アンド・ラフ」のインストゥルメンタル部分などはエレピの音も美しいフュージョン風サウンドになっています。これは珍しい。

 フェラは釈放後も政府に対する挑戦的な態度は全く変えておらず、このアルバムでも舌鋒鋭く体制を批判しています。「ルック・アンド・ラフ」はカラクタ襲撃の模様を第三者的に描写するという当事者ならではの凄味を見せます。

 エジプト80はフェラが留守の間、息子のフェミが預かって演奏を重ねてきています。しかし、フェラは釈放後ますます呪術にのめり込むなど、仲間との軋轢は高まり、フェミは結局フェラの元を離れてしまいます。本作のクレジットにはフェミの名前はないようです。

 さらに集団結婚の解消も発表するなど、フェラ周辺は慌ただしく動いていました。そんな中で外部プロデューサーを迎えたことは正解だったと思います。70年代の作品とは異なる音楽的な魅力を引き出すにはウォリーの存在は大きかった。

 ジャケットもアフリカ的混沌は影を潜め、フランスから見たアフリカのイメージが投影されています。ヨーロッパを経て発表されただけに、洗練された作風となり、日本人にはとても聴きやすいサウンドになっています。フェラはまだまだ前進していました。

Teacher Don't Teach Me Nonsense / Fela Anikulapo Kuti (1986 Barclay)