この作品は事件です。LSDの伝道師としてサイケデリックな世界に名を馳せたティモシー・リアリー教授は米国の収監先から脱獄してスイスに亡命していました。ちなみに彼は後に再逮捕されますが、やがて自由な身となり、今度はサイバーパンクで活躍しました。

 アシュ・ラ・テンペルのハルトムート・エンケは、自分たちのセカンド・アルバムを持って、憧れていたリアリー教授の元を尋ねます。そのサウンドに興味を持った教授は、アシュ・ラ・テンペルと共演することに合意し、その結果はこの作品に結実しました。

 もともとエンケはデビュー作にもその詩を引用していたアレン・ギンズバーグとの共演を画策していましたけれども、どうしても連絡がつかず、代わりに教授に落ち着いたそうです。当時の彼らが何を考えていたのか、とても分かりやすいです。

 アシュ・ラ・テンペルは一般にマニュエル・ゲッチングのバンドとして知られていますが、上記の経緯もあって、本作品はエンケが中心になって制作されました。もう一人のメンバー、ウォルフガング・ミュラーは今回はローディーとしてセッションを手伝っています。

 亡命中の教授がドイツに来るわけにはいかないので、録音はベルンのサイナス・スタジオで3日間にわたって行われました。この時、教授の娘婿が麻薬入りのセヴン・アップをそれと知らせずに皆に飲ませたことから、アルバム・タイトルが決まりました。

 リアリー教授が語るアルバム・コンセプトは「覚醒に至る8つのステップ」というもので、こうした教授のご高説は大いに若いミュージシャン達を魅了しました。音楽で意識を変容させていく、その道筋がドラッグ漬けの頭に共有されたことでしょう。

 教授はボーカルも披露しています。録音2日目、突然、教授は立ち上がってマイクに向かい、演説を始め、ついにはジャム・セッションに加わったということです。この日かどうかは分かりませんが、♪ライト・ハンド・ラヴァー♪と歌っているのが教授だそうです。

 演奏はエンケとゲッチングの他には教授の周りに集まっていたスイスのアングラ・アーティストなどが加わっています。しかも、エンジニアのディーター・ディエルクスとプロデュースを担当するウルリッヒ・カイザーは、歌手を連れてきてオーバーダブをしたりもしています。

 ジャケットには「ライヴ・フロム・ベルン・フェスティヴァル」となっていますし、B面はライヴと紹介されることも多いです。しかし、ミュラーの証言を聞いている限りでは、どうやらフェスでのライヴではなく、上記セッションの音源を編集加工したものであるようです。

 アルバムのサウンドは、エレクトロニクスによって加工されたサウンドと、もろにブルースが演奏されるパートが入り混じるA面と、アシュ・ラ・テンペルのセカンド・アルバムを基にしたようなサウンドのB面に別れます。概ねB面が好意的に受け止められています。

 いかにも当時皆が考えたサイケデリックなサウンドを具現化しようとした作品です。リアリー教授もすっかりミュージシャンとなっています。当時のサイケデリック文化の狂騒ぶりを示す貴重な記録として、その存在価値は大きい作品です。

参照:"Future Days" David Stubbs

Seven Up / Timothy Leary & Ash Ra Tempel (1973 Kosmische)