1970年代に活躍したジャーマン・プログレッシブ・ロックないしはクラウト・ロックのバンドの中で大物の一つに数えられるのが、このアシュ・ラ・テンペルです。彼らはシーンの立役者ロルフ・ウルリッヒ・カイザーの立ち上げたオール・レコードから1971年にデビューしました。

 中心人物は言うまでもなくマニュエル・ゲッチング。アシュ・ラ・テンペルそのものと言ってもよいギタリストです。何と本作品を制作した当時は17歳、高校生です。何という老成ぶりでしょうか。それとも当時は若さによる革命的な音だったのでしょうか。

 ゲッチングは子どもの頃からクラシック・ギターを学んでおり、ティーンエイジャーの頃にジミ・ヘンドリックスに衝撃を受けるという、当時としては標準的な音楽人生を歩んでいます。さっそくブルース・バンドを立ち上げたゲッチングが次に結成したのがアシュ・ラ・テンペルです。

 ここで「穏健で、物静かで、自己宣伝と電話の応対が苦手な作曲家でマルチ楽器奏者」であるゲッチングは親友のハルトムート・エンケと組んだバンドにクラウス・シュルツェを招き入れます。ゲッチングはベルリンのゾディアック・アート・ラボでシュルツェと知り合った模様です。

 シュルツェはゲッチングよりも5つも歳上で、タンジェリン・ドリームを脱退したばかり。その「エレクトロニック・メディテーション」はジャーマン・プログレの金字塔でした。シュルツェはここでもドラムとエレクトロニクスを駆使して見事なサウンドを作り上げることに貢献しています。

 楽器編成だけ見れば、ギターにゲッチング、ベースにエンケ、ドラムにシュルツェと、まるでロックの王道です。しかし、ここにエレクトロニクスが覆い被さることで、この時代のジャーマン・プログレの王道となる傑作に仕上りました。

 ジャケットからして気合が違います。オール・レコードの期待を一身に担っています。見開き変形ジャケットで、エジプトか中南米を思わせる線画を開くと裸の男が四隅の四つのシンボルに向かって両手両足を差し伸べています。

 そして袖にはアレン・ギンズバーグの傑作「吠える」から抜粋された詩が独英両方で記載されています。サイケデリック全開です。時代はフラワー・ムーヴメントの余韻が残る1971年。ドイツの若者たちはサイケデリック文化を存分に味わっていたのでした。

 サウンドもサイケデリックです。レコードの各面に1曲ずつの長々としたセッションが記録されています。シュルツェの呪術的なドラムとエレクトロニクスを中心にエンケと作り出すミニマルな反復リズムを背景に、アンビエントなゲッチングのギターが唸ります。

 ブルースに影響を受けたギターは、とにかくその音色が美しい。そして何より構成力が凄いです。ドラマチックに盛り上げることをしない抑制されたサウンドスケープながら、緊張感は最後まで持続する。これは至難の業と言えます。

 後にクラブ・ミュージックの世界で再発見されるゲッチングのサウンドはここに十分内包されています。表現されたトリップ感覚は人類普遍の無意識の世界にしっかりと打ち込むことが出来ていることを示しています。瞑想のお伴に最適な一枚です。

Ash Ra Tempel / Ash Ra Tempel (1971 Ohr)