マーヴィン・ゲイと言えば、私などにとっては「ホワッツ・ゴーイン・オン」から本格的に聴き始めているので、それ以前は前史という扱いになってしまいます。そこで光り輝くのは「悲しい噂」ですけれども、この「グレイテスト・ヒッツ」はそのまた前史ということになります。

 マーヴィン・ゲイの生まれは1939年4月2日ですから、ぎりぎりのところで早生まれにならずに済んだことになります。まあアメリカ人にも有効かどうかは知りませんが。そしてモータウンからのデビューは1961年、マーヴィンが22歳の時です。

 父親が牧師だったことから、幼少の頃から教会で歌うようになっていたマーヴィンですから、出発はゴスペルだと言って間違いありません。5歳の時にはすでに教会の大会に出て歌っていたり、弟とゴスペル・デュオを組んでいたりと活躍しています。

 プロとしてのスタートはドゥ・ワップ・グループで、比較的有名なムーングロウズにもメンバーとして加入していた時期がありました。そのリーダーだったハーヴィ・フュークワの口利きでモータウンと契約することが出来たそうです。貴重な出会いでした。

 ゴスペルからドゥ・ワップなのに、マーヴィンはジャズ・シンガーとしてモータウンからデビューします。本人はジャズないしはスタンダードを歌うことを希望していたので、まさに希望通りです。そして1961年「レット・ユア・コンシェンス・ビー・ユア・ガイド」でデビューします。

 しかし、これがまるでヒットしませんでした。モータウンの社長ベリー・ゴーディはここで英断を下し、マーヴィンをR&Bシンガーに転身させることにしました。本人の意向には反していたそうですが、新人歌手の分際で社長に逆らうわけにはいかないでしょう。

 とはいえ第二弾シングルは本作所収の「サンドマン」で、これは契約前にマーヴィンがゴーディの前で弾き語りを披露した曲ですから、R&Bというよりもジャズ寄りの曲でした。マーヴィンの意気込み虚しく、これもまるでヒットしませんでした。

 続く三枚目のシングル「スタボン・カインド・オブ・フェロウ」はR&Bに寄せたことが奏功してR&Bチャートで8位に入るヒットとなり、ようやく社長もマーヴィンも安堵することができました。その後はそこそこのヒットを連発する中堅アーティストとなっていきます。

 このグレイテスト・ヒッツは1964年に発表されており、1962年から1963年までのヒット・シングルを網羅しています。シングル曲は6曲、カップリング曲が6曲、一曲だけ表裏が違うものがあり、なおかつデビュー曲は収録されていません。

 後のマーヴィンからは想像しがたいですけれども、ここでのマーヴィンはモータウンの優等生です。ホランド・ドジャー・ホランドやベリー・ゴーディの楽曲などをしっかり歌っています。セクシーな男性ボーカルとして人気を博しつつあった姿もいかにもモータウン的です。

 大ヒットして歴史に名を残すような曲よりも、ここでのマーヴィンのモータウン節の方が、モータウンらしさを存分に発揮しているように思います。モータウン工場から出荷された性能のよい車という感じです。まだ若いですけれども、それはそれで大きな魅力です。

Greatest Hits / Marvin Gaye (1964 Tamla)