歌が上手いことで定評のある日本の歌手がテレビで「ホワッツ・ゴーイン・オン」を歌うのを見たことがあります。その時、まだ小僧だった私は、マーヴィン・ゲイはなんと歌が上手いんだろう、と骨の髄まで思い知らされたのでした。

 声を張るでもなく、呟くでもなく、軽く歌っているようにも聴こえます。しかし、この歌声には底知れぬ魅力が詰まっています。「ホワッツ・ゴーイン・オン」はそのメッセージ性に焦点が当たりがちですけれども、その魅力はまずはその歌声とジャジーなサウンドです。

 加えて、たとえばB面の1曲目「ライト・オン」の、ピアノも動員したシンプルなリズムの深い深い魅力。ノンストップのA面もさることながら、見過ごされがちなB面も工夫された極上の洗練されたサウンドで構成されており、ため息がでるほど美しいです。

 何が言いたいかというと、マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」はソウル・ミュージックの世界に新しい時代を築いた名作中の名作として、数々の物語に彩られていますけれども、とにもかくにもまずはそのサウンドが素晴らしいのである、ということです。

 何しろ、本作の伝えるメッセージは重く、なおかつ今でも有効です。戦争、貧困、環境問題、差別などなど。もっぱらラブ・ソングを歌っていたマーヴィンが社会問題を歌う。マーヴィンの弟がベトナム帰還兵であったことは、メッセージのリアリティを高めています。

 この頃、デュエット・パートナーだったタミー・テレルが若くして亡くなったことも大きな陰を落としています。そのことがなければ、モータウンの方針に反して自我を貫き通すこともなかったのかもしれません。どん底から這い上がった男は強い。

 この作品にはモータウン史上初が詰まっています。まずは、コンセプト・アルバムであること、それもメッセージ性が強いこと、ボーカルを多重録音していること、ミュージシャンの名前をクレジットしたこと、歌詞が印刷されて提供されたこと。

 そんなこともひっくるめて、モータウン工場から出荷された作品ではなく、アーティストが手作りした作品となったと言えます。社長は売れないと決めつけていたそうですから、アーティストの大勝利です。後に与えた影響はスティーヴィー・ワンダーを見れば一目瞭然です。

 ミュージシャン名のクレジットは彼らのやる気を引き出したに違いありません。顔が見える演奏は生き生きしているように聴こえます。アルバム全体を通じて、隅々にまで細かく気が配られているのは、彼らのやる気があればこその結果だと思います。

 本作からは、「ホワッツ・ゴーイン・オン」の他に、「マーシー・マーシー・ミー」、「イナー・シティ・ブルース」と三曲のトップ10ヒットを生み、アルバム自体も6位と大ヒットしました。こんな名作なのに1位じゃないのがまた勲章です。歴史的作品というのはそういうものです。

 ソウル・ミュージックはこの作品によって方向性を決定づけられました。都会的で洗練された柔らかなビートを有するソウル・ミュージックは本作に端を発すると言えそうです。今に至るも一大潮流ですから凄い。名盤中の名盤です。

What's Going On / Marvin Gaye (1971 Tamla)