夢の一枚という言い方が相応しいアルバムです。16から17世紀に活躍したクラウディオ・モンテヴェルディの作品の中でも、バッハの「マタイ受難曲」に並ぶ屈指の宗教音楽と言われる「聖母マリアの夕べの祈り」をジョン・エリオット・ガーディナーが指揮した逸品です。

 ガーディナーという人は、ケンブリッジ大学在籍中にモンテヴェルディ合唱団を結成しており、卒業後にはモンテヴェルディ管弦楽団を結成しています。音楽人生をモンテヴェルディで始めたような人だということがよく分かります。

 そのガーディナーがモンテヴェルディ合唱団設立25周年を記念して、モンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」を演奏する世界ツアーを敢行します。そのツアーの途中、1989年5月にサン・マルコ寺院でライヴ録音されたのがこの作品です。

 サン・マルコ寺院と言えば、イタリアのヴェネツィアで最も有名な大聖堂です。モンテヴェルディは1613年にサン・マルコ寺院の楽長に任命されていますから、いわばモンテヴェルディの聖地、そこら中をモンテヴェルディが実際に歩き回っていた場所です。

 そんなモンテヴェルディに恋い焦がれた人ならば誰しもが憧れるサン・マルコ寺院で、モンテヴェルディも演奏したであろう傑作「聖母マリアの夕べの祈り」を、モンテヴェルディ無くしては音楽人生もなかったであろうガーディナーが演奏する。夢の一枚でなくて何でしょうか。

 唯一の難点は、モンテヴェルディ管弦楽団がイングリッシュ・バロック・ソロイスツに名前を変えてしまっていたことですから、この時だけでも昔の名前で出てみてもよかったのではないかなどとと余計な横やりを入れてみたくなります。

 モンテヴェルディの名前を連呼してしまいましたが、この作曲家はルネサンスからバロックを橋渡しする時期に登場した大作曲家です。この楽曲は世俗音楽ばかり書いていたモンテヴェルディの転機ともなった宗教音楽の傑作です。

 そのためか、この作品を聴いていると、エスニックな香りがいたします。西洋列強が世界を支配する前の時代、ヨーロッパはまだまだ辺境の地です。ヨーロッパ土着の人々による芸術音楽にはディープなヨーロッパに固有な霊がつきまとっています。

 そこがひたすら美しい本作品に彩りを添えています。ロンドン・オラトリー少年合唱団の歌唱や、独唱歌手たちの躍動感あふれる歌声にも遠い先祖の血を感じて感動的です。ガーディナーの心をとらえたのはそういうところなのかもしれません。

 ここではサン・マルコ寺院の素晴らしい音響と古楽器を使った演奏に、力強い合唱が相乗効果に相乗効果を重ねて荘厳そのもの。映像作品にもなっているそうです。夢の一枚ですから、そちらの方が凄そうではあります。

 なお、二種類ある「マニフィカート」のうち七声をこちらでライヴ録音した上で、六声の方はロンドンで後に録り直して足しています。そこまで完璧を期そうというのですから、さすがは夢の一枚です。情熱が宗教に昇華した見事な一枚だと思います。二枚組ですが。

Monteverdi : Vespro della Beata Vergine / Joh Eliot Gardiner (1990 Archiv)