クイーン、ジャパン、チープ・トリックの並びにボン・ジョヴィも入ります。日本の女子たちが最初に見出した世界的アーティストです。ボン・ジョヴィのデビュー作は、どの国よりも早くまず日本でゴールドディスクを獲得しました。以降、ボン・ジョヴィは日本びいきとなりました。

 ニュー・ウェイブ・オヴ・ブリティッシュ・ヘヴィー・メタル、すなわちNWOBHMが巻き起こると、米国においても数々のヘビメタ・バンドが出現しました。多くは西海岸出身だったのに対し、ボン・ジョヴィは「煌きのニューヨークから劇的にデビュー」しました。

 ボン・ジョヴィは、ボーカルのジョン・ボンジョヴィとキーボードのデヴィッド・ラシュバウムがニュージャージーの高校で出会い、バンド活動を始めたことがその起源です。卒業するとラシュバウムはニューヨークのジュリアード音楽学校に学びに出ます。

 ジョンも続いてニューヨークに出て、かの有名なパワーステーション・スタジオで約2年間雑用係として働きました。チャンスは巡ってくるもので、彼は「夜明けのランナウェイ」を制作することに成功し、ローカル・ラジオにてオンエアされるに至ります。

 その後、ラシュバウムとボンジョヴィは再び一緒にバンド活動を再開、ベースにアレック・ジョン・サッチ、ドラムにティコ・トーレスを加え、さらにセッション・ミュージシャンとして鳴らしていたリッチー・サンボラをギタリストに迎えてラインナップが完成します。

 レコード契約を獲得したボン・ジョヴィは、さらにエディー・マニーやZZトップをサポートするなどして注目を集めます。ジョンには「フットルース」の主演のオファーが来たと言いますから、ビジュアル面でも大いに注目されたことが分かります。

 そしてこのアルバムです。バンド結成前の「夜明けのランナウェイ」をそのまま含んでいますし、サポート・ミュージシャンが何人もクレジットされているアルバムですけれども、「スターになるべくして登場したグループ」らしく、生きのいい作品になりました。

 アルバム発表後には、スコーピオンズやホワイトスネイク、キッスなどの大物バンドをサポートした他、ヘッドライン・ツアーにも出ています。日本にも1984年8月に初来日して、熱狂的な歓迎を受けています。それは感動することでしょう。

 さらに日本では麻倉未稀が「夜明けのランナウェイ」をカバーしてTVドラマの主題歌に抜擢もされています。いかにも日本的な歓迎の仕方が時代を感じますが、いずれにせよ、日本ではボン・ジョヴィはいきなりビッグ・ネームになったわけです。

 ボン・ジョヴィをヘビー・メタルと呼ぶのはいささか躊躇いたします。リッチーのギターなどはヘビメタの様相を呈していますし、リズム・セクションもメタル的ではありますけれども、メロディーがキャッチーでポップなテイストが強い。そこが人気の秘訣でもあります。

 熱い信頼関係を築くことになる伊藤政則氏は、ユーライア・ヒープを思い浮かべたそうですが、ボン・ジョヴィの方がずっとキャッチーで若々しいです。明るい屈託のないサウンドが新世代を感じさせたものです。スーパースター、ボン・ジョヴィのデビューです。

Bon Jovi / Bon Jovi (1984 Mercury)