1983年11月28日にアムステルダムのパラディソ・クラブで行われたフェラ・クティのライブ・アルバムです。LPでは2枚組となっており、1枚目は両面を使った「M.O.P」、2枚目は片面に一曲ずつといういつもの構成で、全3曲が収録されました。

 このアルバムはいつにもまして毀誉褒貶が激しいです。たとえばオール・ミュージックのサイトではフェラの最悪のレコードの一つだと断罪していますが、アマゾンのカスタマー・レビューでは5つ星評価ですし、他のサイトでも傑作とする意見も多い。

 フェラは1983年から1984年にかけて三回目となるヨーロッパ・ツアーを敢行します。この頃のフェラはガーナの呪術師クェイク・アダイ、通称ヒンドゥ教授に入れ込んでおり、彼をカウンセラーとして、このツアーにも同行させています。

 フェラは悪霊に悩まされるようになり、「亡き母の『霊』が-ヒンドゥ教授を通じて-フェラになにをすべきか指示する」ような状態に陥ります。彼を支えてきた妻たちや仲間たちのことも信じられなくなってしまいましたから、バンドの状態は推して知るべしです。

 しかし、エジプト80は「フェラの類まれなクリエイティブな才能と、信じがたいほど忠実なアニマシャウンのおかげ」で何とかその輝きを保っていました。メンバーの入れ替えも多く、安定していたとは言い難いエジプト80でしたが、このアルバムでは何とか熱演しています。

 本作でのエジプト80はフェラを入れて総勢16名の大所帯です。内訳はバリトン・サックスのアニマシャウンを含むホーン陣が6人、ギター、ドラム、パーカッション2人、キーボード1人、コーラスが4人、そしてフェラです。

 フェラの息子フェミ・クティはまだ在籍しており、アルト・サックスを吹いています。フェラはジャケットではテナーをもっていますが、ここではソプラノ・サックスを吹いています。もちろん、リード・ボーカルとオルガン、そして時おりピアノも弾いています。

 この作品の録音にはダブ・マスター、デニス・ボーウェルが当たっており、彼はフェラとともにロンドンでミックス作業も行っています。期待に違わず、低音を強調したサウンドに仕上がっており、フェラの他の作品とその点で一線を画しています。

 ベースのクレジットがありませんけれども、デレ・ソシミは「リズム・ピアニスト」と呼ばれており、彼がYAMAHAベースを弾いているのではないかと推察します。強靭なアフロ・ビートを叩きだすオラ・イジャグンのバスドラとともに、アルバムのグルーヴは強力です。

 アラケ、ケヴェ、イハセ、フェヒントーラと4人の妻たちのコーラスも素敵ですし、私はこのアルバムの演奏は好きです。ボーヴェルはいい仕事をしたと思います。フェラの歌もいつものように政治的なメッセージが冴えていますし、黒魔術の影は一時晴れているようです。

 しかし、ツアーは全般に成功とは言い難いようです。フェラは観客にヒンドゥ教授を紹介するなどして顰蹙もかいました。そんな中でもこうして力強い作品を生み出すのですから大したものです。賛否両論ある作品ではあるのですが。

参照:「フェラ・クティ自伝」カルロス・ムーア(菊地淳子訳)

Live In Amsterdam / Fela Anikulapo Kuti & Egypt 80 (1984 EMI)