伝説のアルバムです。「ウェスト・コーストの名プロデューサー、ヴァン・ダイク・パークスが歌う夢の世界」として、1968年に発表されました。巨額の資金をつぎ込んだにも係わらず、商業的には惨敗でした。しかし、このアルバムはしっかり歴史的名作の地位を獲得しています。

 私が洋楽を聴き始めた1970年代半ばにはすでにその評判は轟いていました。「ビートルズの『サージェント・ペパーズ』に並ぶ」と評価され、多くのミュージシャンが賛辞を送っていました。しかし、レコードは長らく入手できませんでした。当然伝説度は高まります。

 評判の一端は、この紙ジャケ再発にあたって添えられた細野晴臣さんの言葉「ヴァン・ダイク・パークスは30年前、ぼくの音楽観を変えた」、小倉エージ氏による6ページに及ぶ詳細で力のこもった解説に窺い知ることができます。

 ヴァン・ダイク・パークスは、「ボブ・ディランにやれるなら、俺だって」と意気込んでロサンゼルスにやってきた人です。彼はめでたくシンガーソングライター、スタジオ・ミュージシャン、プロデューサーとして活動するようになっていきます。

 エポックとなったのはビーチ・ボーイズの幻のアルバム「スマイル」にブライアン・ウィルソンの相棒として係わったことです。その後、ワーナー・ブラザーズと契約を結び、本作のプロデューサー、後のワーナー社長レニー・ワロンカーとともに働くようになります。

 そうこうするうちに、パークス本人の出番として制作されたデビュー・アルバムが「ソングサイクル」です。「パーム・スプリングに出かけて、8ヶ月から9ヶ月で作った。僕自身のハリウッド体験に触れながら、子ども時代のことを振り返ってみたかったんだ」との本人談。

 この言葉を聞くと少し合点がいきます。というのも本作品はロックないしフォークのアルバムを期待して聴くと、1曲1曲が起承転結をもってまとまっているわけではないので、とても聴きにくいんです。しかし、何のことはない。これはミュージカルだと思えばよいのでした。

 「パーソナルな人生について告白してみたいと思ったからね」とプロデューサー肌のパークスは、自由自在に物語を紡いでいきます。それもバラライカ演奏やストリングス、ホーン、コーラスを主体に、SEを交えて、枠にとらわれないサウンド処理が行われます。

 サイケデリックな1968年とも思えない、ニュー・オーリンズ・ジャズやミンストレルといった一昔前のアメリカンなサウンド、テックス・メックス系のサウンドなどをゴージャスに現代に蘇らせたサウンドが展開されます。小粋なことこの上ないです。

 それに歌詞がこれまた難解でダブル・ミーニングの宝庫です。たとえば「バイ・ザ・ピープル」に出てくる♪ジョージアのスターリン♪はジョージア出身だったソ連のスターリンのことでしょうが、人種差別主義者ジョージ・ウォーレスのことだと解されるそうです。

 このいかにも知的なサウンドが本作品を名作たらしめている所以です。細野さん曰く「ハリウッドの狂気と異邦人の冷静さが同居するその才能は他に類を見ない」。とにかく一筋縄ではいかない天才ミュージシャンであります。

Song Cycle / Van Dyke Parks (1968 Warner Bros.)