マックス・リヒターにとって「ブルー・ノートブック」は格別の意味合いを持っています。そうでなければ15周年を記念するスペシャル・エディションなど発売されるわけがありません。おまけに未発表のトラックを収めたボーナス・ディスクまでつける手の入れようです。

 リヒターのデビュー・アルバムは2002年に発表されていますけれども、リヒター自身が語るところによれば「誰も気にもしない」結果に終わり、このアルバムが発表される頃にはすでに廃盤になっていました。世間にはまだ彼の音楽を受け入れる準備が出来ていませんでした。

 「誰も聴いていない」し、「レコードを売っていないんだから」と、開き直ってやりたいことだけをやった結果がこの「ブルー・ノートブック」です。よく聞くお話ですけれども、いわゆるクラシック畑の人が言うと格別の味わいがあります。

 案の定、横紙破りなサウンドということではなく、エレクトロニクスとクラシックを融合させる作風はそのままに、そのコンセプトが型破りでした。「迫りくるイラク戦争と自分自身の経験に触発されて、暴力とその影響を熟考すること」がそれです。

 しかし、リヒターも影響を受けたとするパンクであれば、こぶしを振り上げるところですが、「力づくで従わせるのではなく、考える場所を与えたい」と、あくまでリヒターの持ち味のポスト・クラシカルな、暴力的でないサウンドで構成されます。

 アルバムでは、リヒター自身のピアノとエレクトロニクスに加えてバイオリンとチェロが二人ずつ、ヴィオラが1名のシンプルな構成がサウンドを奏で、11曲中5曲で英国のアカデミー女優ティルダ・スウィントンがテキストを朗読します。

 朗読されるのは、アルバム・タイトルともなったフランツ・カフカの「八つ折り判ノート(ブルー・ノートブック)」からのテキスト、そして、リトアニア系ポーランド人の詩人チェスワフ・ミウォシュの「真珠の賛歌」と「成し遂げられない地球」です。

 リヒターは当時の状況、すなわち、正反対の証拠があるにもかかわらず戦争が不可避であり、かつ正当化されるという、真実が主観的な主張に取って代わられる状況に直面して、カフカが権力構造を分析する際に不条理を上手く使うところに打たれたと言います。

 そうして注意深くテキストが選ばれる一方、サウンド面においても、最も有名な曲「オン・ザ・ネイチャー・オブ・デイライト」は回文構造を使ったり、子どもの頃の音楽への避難が現れたというシューマンの「詩人の恋」第10曲を引用したりとテキストとさまざまな工夫がなされます。

 「オン・ザ・ネイチャー・オブ・デイライト」はさらにポピュラー音楽のリズムを取り入れることで近づきやすくなっており、同曲は数々の映画に使われるに至りました。こうして反暴力の主張は考え抜かれたサウンドによって確実に伝わることとなったんです。

 このアルバムはシガー・ロスで有名なファットキャットからのリリースですが、その後、ドイツ・グラモフォンに移籍すると10万枚以上を売り上げる大ヒットになりました。今のリヒターがある礎を築いたアルバムだといえます。

The Blue Notebooks / Max Richter (2004 130701)