テレサ・テンは1974年、21歳の頃に日本デビューを果たしました。当時中学生だった私は、彼女のことをアグネス・チャンの二番煎じだとばかり思っていました。平凡や明星などでは実際、アグネスを超える可能性のあるアイドルだと喧伝されていたと記憶しています。

 それがいかに見当違いなことであったか、今となってはお恥ずかしい限りです。アグネスとテレサでは歌手としての生きる世界がまるで異次元でした。そのことを思い知らされたのが、中村とうようキャンペーンで知ったこのアルバムでした。

 テレサ・テンは日本にやってきた時にはすでに中華圏では大スターでした。それも当然のことながらアイドルではなくて歌手。その上、圧倒的な歌唱力をもつスーパースターです。わずか42歳で亡くなってしまったことは本当に大きな損失です。

 この作品は日本の市場に向けて制作されたアルバムではありません。宋の時代の詞に曲をつけてテレサが歌うという企画盤です。テレサにとっても中国歌謡界にとってもほとんど初めての本格的なコンセプト・アルバムだと解説されています。

 このアイデアをテレサに持ち込んだのは、広告会社の社長さんだという謝宏中氏です。ある秋の夜、彼が書斎で李後主の詞を書写していた時に、友人の夫人がそれを朗読し始めました。その響きが心に染みて、謝はうっとりしてしまいました。

 その時に、昔の詞を現代風の音楽で唄ってみるアイデアを思いついた謝は、そのアイデアを粘り強くいろいろな人に持ちかけますが、反応は芳しくありませんでした。しかし、1年以上たったある晩、宴席でたまたま出会ったテレサは熱烈な反応を示します。

 そうして謝先生の執念が実り、本作が実現することとなりました。選ばれた詞は宋の時代のものばかりで、その中には、謝先生が書写していた「涙は赤い花びら」を始め、李後主の作品が3篇選ばれています。李後主は宋の太祖に滅ぼされた南唐の王だった人です。

 中国には詩と詞の二種類があり、漢文で勉強する五言絶句や律詩などが詩、宋代にピークを迎える比較的自由度の高いものが詞です。現代風の音楽に乗せるには詞の方が適していることが分かります。だから歌詞は歌詩ではないんですかね。

 いずれにせよ、こうした千年以上も前の詩詞が教養となっているというのは凄いことです。さらにそれがこうして現代に生き返る。お堅い教養としての詞ではなく、まるで同時代に息をしているかのように感じられるとは恐ろしいことです。

 中国語によるテレサの凛とした歌は、日本語以上に心に染みわたります。自然なビブラートが体のあちらこちらと共振して大変なことになってしまいます。テレサこそ菩薩でありましょう。演奏は歌を引き立てることのみを使命としているようで、これまた潔い。

 いやが応にも大陸のスケールの大きさを感じます。テレサの歌声には三千世界が溢れています。本作は香港でアルバム・オブ・ザ・イヤーに輝くなど、中華世界で高く評価され、そして今でも愛されています。文句なくワールド・クラスの傑作でしょう。

淡淡幽情 / 鄧麗君 (1983 Polygram)