フルクサスは1960年代に出現した芸術運動です。オノ・ヨーコや小杉武久、武満徹や一柳慧など日本人が数多く参加していたことで、比較的早い段階から日本でも耳にすることが多かったと記憶しています。実態を説明しようとすると難儀しますけれども。

 「ピアノはタブーだ。破壊されなければならない」。これはフルクサスに参加していた有名なマルチ・メディア・アーティスト、ナム・ジュン・パイクの言葉です。本作のライナー・ノーツではまずこの言葉が冒頭に出現します。

 新しい音楽を追及しようとすると、融通の利かないピアノは打倒すべき対象ということになりやすいです。実際、フルクサスの表現活動の中ではピアノを物理的に破壊する過程を見せることもあったそうです。そこまでいかなくても皆さんさまざまにピアノと格闘しました。

 本作品はジョン・ケージ全集なども発表している、現代音楽に強いドイツのピアニスト、シュテッフェン・シュライエルマッハーによるピアノ作品集です。取り上げられている楽曲はフルクサスに参加したアーティストのものばかり。ほとんどがピアノ・ソロです。

 全部で11曲、それぞれ作曲者が異なります。一番フルクサスらしいと思うのは、ベン・パターソンの「アンツ」です。パターソンはデュッセルドルフの公園で一心不乱に蟻の動きを見ていました。彼は思いついて蟻を何匹か白い紙の上に乗せました。

 這いまわる蟻をカメラに収めて、それを紙に写し取りそれが楽譜になりました。「アンツ」の誕生です。この作品ではシュテッフェンが「アンツ」を演奏すると同時にジョージ・マチューナスの「病んだ男のためのソロ」が奏でられます。

 マチューナスこそフルクサスの創始者です。この曲では演奏者がいろんな薬を飲んだり、咳をしたりと病んだ男のパフォーマンスを繰り広げます。客席の笑い声なども収録され、いかにもハプニング好きなフルクサスの性格を表しています。

 続くジョルジュ・リゲティの「三つの小曲」はジョン・ケージの問題作「4分33秒」に応えて作られた曲で、ピアニストは冒頭にC#の音を一度だけ鳴らし、その後は沈黙します。曲間は楽譜をめくる音で区切られるというまさに「4分33秒」に倣った曲です。

 違うのは最後にアンコールとして、演奏者自身が自分を褒め、聴衆もそれに大きな拍手で応えるところです。この曲がアルバムの最後に持ってこられているため、聴衆の声援はアルバム全体を覆うことになっています。達成感があります。

 他にもシルヴァノ・ブソッティ、武満徹、フレデリック・ジェフスキー、一柳慧、フィリップ・コーナー、テリー・ジェニングス、ディック・ヒギンス、ジョン・ケージ、オノ・ヨーコによる曲が収められています。どれも一癖も二癖もあるのですが、ピアノと言えばピアノ。

 プリペアード・ピアノも当たり前に用いられていますし、チャンス音楽的な要素も満載です。さまざまなスタイルがあるのですけれども、ピアノはなかなかの難物です。芸術音楽を規定するピアノに作曲者も演奏者も跪いているかのようです。面白いです。

Fluxus Piano / Steffen Schleilermacher (2015 MDG)

シュライエルマッハーではありませんが、リゲティです。